器の大きい人

photo of woman holding a green paper

ゆいちゃんねるです!

今回は「器の大きい人」をテーマにしたいと思います。

器を大きくするって、理想的でありながら難しいですよね、、

「容量拡大」とか「上限解放」みたいな要領で出来たらどんなに良いことか、、と思いますよね。

当の私はこの春仕事で新しいことに関わるようになり、なかなかに余裕なく過ごすことが多い年度初めになりました。

ある日、私のミスによって周囲をヒヤッとさせてしまう出来事を起こしてしまいました。

「あ~、これは先輩に怒られるか、『気を付けてね』と圧力強めの指摘を受けるだろうな」と思いました。

私がそんな風に考えていたその時、そばで一緒に確認してくださっていた先輩がなんと言ったかというと、「ごめんね」と言いました。「自分がちゃんと確認していなかったから、ごめんね」と。

そのあと先輩が影響を確認して下さり、他の方も手伝ってくださり問題なく解決しました。

私の頭の中は申し訳なさとありがたさとでぐるぐるした結果、

「この状況で『ごめんね』という言葉が出てくる心の器の大きさが本当にすごい」

というところに行きつきました。

先輩が「ごめんね」という必要のある要素がないのに、この状況で「ごめんね」という言葉が出ることは、人間として可能なのだろうか…と考えているとき、その週の主日(日曜)礼拝で伝えてくださった御言葉を思い出しました。

<神様>をただ信じて生きるのではなく、<自分>も「神様と一緒に生きる生」を生きてはじめて、神様が自分をどれだけ大切にし、愛し、助けて、生きてくださっているのか分かるようになり、その力と希望で神様と一緒に喜んで生きるようになります。

2022年4月3日主日(日曜)礼拝の御言葉より

どう見ても私のミスだったのに、私がどれだけ足りなかったとしても、及ばなかったとしても、私が神様と一緒に生きることを願うから、先輩を通して神様が大きな心の器をもって許して下さり、助けて解決してくださったのだと思い、感動しました。

ただ、このように許してもらうときは、どれほどありがたく思っても、どうしても申し訳なさが残ります。ありがたさよりも申し訳なさが勝っているこの差を、どうしたらよいだろうと考えたとき、

「私が神様のような大きな心の器を目指すことで恩返しをしよう」と思いました。

誰でも<神様と一緒に生きる生を生きる人たち>は「最高の祝福を受けて生きる人たち」で、「最高の愛を受けて生きる人たち」です。

その人がどこに行っても、共に行なってくださり、「願うことをすべて」成してくださいます。

2022年4月3日主日礼拝の御言葉より

身近なところでは同じ状況が起きたときに後輩に、同僚に、そして仕事以外のあらゆる場面において、私が「神様と一緒に生きたいです」、「神様のような大きな心の器が欲しいです」と願うこともすべて成してくださると御言葉の中でおっしゃいました。

申し訳ないと思う心は次に向けて知恵をもらってうまく行えるように、ありがたいと思う心は、今度は自分が恩を返して差し上げます、といずれも未来へのエネルギーに変えて生きようと思いました!

こうして、今は心の器も何もかも足りなかったとしても、落胆せずに未来に希望をもって生きるように働きかけてくださる神様に感謝します。

そして社会でたくさんの重荷を背負ってくださっている方々、

あらゆる“先輩”方にも感謝します。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

また、ゆいちゃんねるで会いましょう!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です