ノアは方舟の中で何を考えていたんだろう

こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。
コロナ禍の中、愛する兄弟姉妹と会いにくい時期が続いておりますが、私が信仰の幼いころから「この人ステキだな~~」と思う牧師さんとZOOMしたときのことをお話しますね。


自ら行うこと

誰かにやらされてやることは長続きしないし、それをやってもらった方にとっても嬉しくないですよね。生活の場まではどんなに愛する人だとしても入り込んで助けに行くことはできないから、自分のことを自分でできるようになりたいです。
もちろんコロナも気をつけなきゃいけないし、それ以上に自分の心をも守っていきたいですね。

ルカ21「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。」

自分にとって「方舟」とは何なのか。自分にとって「災いが過ぎるようにと戸口に印が押されている」ということが何なのか。それを深く考えたいときだと思います。
愛する人に会いたいけれども、それよりも先にやらないといけないことは自分を作ることですよね。今年2月から数えて半年の「作る期間」を与えられたのに、あれ?私、何を作れたのかしら…どきどき。
牧師先生は「人間としてこれ以上ないくらいに私を作ってみたいです。神様のところに作ってから会いたいです。」とおっしゃったそうです。人間としてって…。少なくとも、今の自分以上に作ってから会えるようにしたいです。自分一人で作ることは難しいけれども、今は自分を作ることを神様が助けてくださいますからね!


同じ話を聞いていても、受け取るその深さが半端ない!

聞いている説教自体はその牧師さんも私も、同じ内容を提供されているはずなのに、神様に対する関心が強い分、主日の説教に対する研究がなされている分、これだけ御言葉を深く、強く聞くことができるのかと思いました。

それにしても、その牧師さんが最後に、『何もないとしても、愛する人がいるからいいじゃないですか。たとえ愛する人が愛してくれなくても、愛せるからいいじゃないですか。それが幸せだ。』とおっしゃっていたのが印象的でした。
幼い私は、それでも愛されたいもん!!と思ってしまうんですが、達観していらっしゃる方はそこに到達していらっしゃるんだなと思いますし、そんな愛ができるから、信頼されて、愛されるんだなと思いました。

愛する人が生きているということに、愛する人が愛してくださって自分のためにさまざまに働きかけてくださっていることに感謝です。

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