心が弱ったときにいい聖句
こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。
滑るように過ぎていくと事前に聞いていたものの、すでに半分が過ぎて本当にあっという間に終わってしまう感が半端なく焦っております。たしか6月って祝日も何もないし、平日がほかの月よりも多いはずだからたくさん仕事できるイメージがあるんだけれども、あっという間だYO!
礼拝の御言葉を聞く前の準備の一つに聖書を読む、というのがあります。
忙しい毎日が続く現代人の皆さんだと思いますが、礼拝の御言葉を聞く前に、準備が必要です。この準備をどのくらいするかでその御言葉の入り具合が全然違うのを、経験者ならだれもが「アーメン(その通りの意)!」と思うでしょう。
一週間かけて準備するのが理想的です。そして直前の準備の一つとして『聖句を読む』ということがあります。毎週その御言葉にちなんだ聖書の個所を提示してくださるので、御言葉を聞く前にその個所を読みます。
ちなみに過去、『今週の聖句』として創世記から黙示録(つまり聖書の最初から最後まで)が指示されたことが2度?ほどあり、そのときには「うん、無理だよねぇ」とスルーしてしまったことがあるのは秘密の話。
聖書を読みなさい、と今年に入って何度も言われているのですが、毎日読み進めているかというとできてない日も多いです。そんな中『今週の聖句』とそれに付随する参考聖句が多めに出た週がありました。
ココロ弱クナルトキーーー
あ、『心が弱い人が宗教を必要とするんだ』という考えの日本人が多いと聞きますが、今回は宗教はむしろ何かを成し遂げる人にこそ必要なものだということを前提として話しますね。
どんな人間でも心弱くなる時ってありますよね。
しかもこのコロナ禍の中で一人で過ごすことも多くなっている今、無駄なことを考えて勝手にさみしくなったり心折れそうになるときがあります。
そんなときこそたまっているやるべきことをやればいいのに、そういうときって一切しないんですよね。
心弱くなっているときに本当に勇気づけられる聖句が聖書にはたくさんあります。
『今週の聖句』が多く出された週、まさにそんな聖句のオンパレードでした。
その週の御言葉の本文及び参考聖句、いきますよーーー!
≪本文≫
・詩篇23編4~6節
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
・ヨナ書 2章6節
わたしは地に下り、地の貫の木はいつもわたしの上にあった。しかしわが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。
・マタイによる福音書 16章26節
たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
・ヨハネによる福音書 8章29節
わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになさることはない」。
続きますよー!
≪参考聖句≫
・創世記 19章17節
彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。
・サムエル記上 25章29節
たとい人が立ってあなたを追い、あなたの命を求めても、わが君の命は、生きている者の束にたばねられて、あなたの神、主のもとに守られるでしょう。しかし主はあなたの敵の命を、石投げの中から投げるように、投げ捨てられるでしょう。
・ヨブ記 11章17節
そしてあなたの命は真昼よりも光り輝き、たとい暗くても朝のようになる。
・詩篇 56編13節
あなたはわたしの魂を死から救い、わたしの足を守って倒れることなく、いのちの光のうちで神の前にわたしを歩ませられたからです。
・詩篇 54編4節
見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです。
・箴言 19章23節
主を恐れることは人を命に至らせ、常に飽き足りて、災にあうことはない。
・エレミヤ書 39章18節
わたしが必ずあなたを救い、つるぎに倒れることのないようにするからである。あなたの命はあなたのぶんどり物となる。あなたがわたしに寄り頼んだからであると主は言われる』」。
やはり書き出してみても結構な量ですよね。え?そうでもないですか??
聖句を読んで、次の御言葉はこんな内容かな?とあたりをつけたりするんですけれども、だいたい自分の予想よりもはるかに大きな次元で話されたり、もっと別の話をされることもとても多いです。でも聖句とはつながっていて、聖句を読んでから聞くと本当に入り方が違います。
神様が応援してくださる
人間生きる中で、悩みのない人なんていませんよね。
ときに苦痛を受けながら生きているわけなんですけれども、苦痛の一つに人からくる害があります。
あからさまに敵視されている人から悪く言われることもけっこう堪えますが、親しいと思っていた人から、身内から誤解されたり悪く言われることはさらに傷つきます。
火のない所に煙は立たぬ、なんてそんなの嘘だって思う時もあります。もちろんそういう煙もありますけれども、妬んだりして害を与えようとする人は、何にもないところに火をつけて煙を出したりしますから。
傷ついたり、落ち込んだときに聖書を読むと、いつも聖句を通して神様が愛で包んで勇気づけてくださったりします。神様が私たちと共にしてくださって、90 %以上、いつも共にしてくださっています。「愛しているから心配するな」と言って、いつも共にしてくださっているのを感じます。
有力者が自分の後ろについているとかなり心強いですよね。それが全知全能であられる神様が自分の後ろについていると思ったらどれほどでしょう。
その助けが私利私欲によるものではなく、ただ愛で、愛してるからしてくださるってどんだけ…。
神様ってステキ☆
余談ですが、まだ私が学生のころ(超々就職氷河期末期)就職活動をしているときに、「コネがある人をうらやましいと思う人もいるかもしれないけれども、みなさんには神様というコネがありますから」といわれたときには笑いながらも、けっこう心強く思ったものです。
ハマンに負けるな
ハマンとは、旧約聖書、エステル記に出てくる悪~~いヤツです。しかも巧妙なんです。
ハマンがモルデカイ(エステル記、読んでね)をいろんな方法で、しかも正当化させながら懲らしめようとしてきますが、そんなハマンの行動を神様が黙ってみているわけありません。
神様を信じていれば何も恐れるものもなく困難もなく、ただでたくさんの祝福が~なんてことはあるわけではなく、むしろ一つの信念を貫こうとするから、御心という名の目的をなそうとするからこそたくさんの困難苦難、時に嫉妬による攻撃も受けたりします。
『心が弱い人が宗教を必要とするんだ』なんて、何をみていえたのかわかりません。むしろ、ですよね。
生きていくなかでつらいこともあったり、攻撃されたりすることはあります。そのときに自分の考えでやり返したりすると、神様は働きかけてくださいません。むしろ自分の考えでやり返して、そのしっぺ返しが来たりします。
つらいことや、理不尽なことをされたりしたときには、預言者エレミヤ(エステルじゃないですよ)のように涙を流しながら切実に神様に訴え、祈り続けることです。
そうしたときに、聖書の文字通り『敵の前で宴を設け』てくださったことがあります。あぁ、神様が見てくださっていた、助けてくださった、と本当に嬉しくなります。
耐えきれなくて、自分の考えでやり返しちゃうのは、私の器が小さいから。うん。
それにしても、モルデカイがエステルに助けを求めてエステルが躊躇してしまったときにモルデカイが言ったセリフ、しびれます。
歴史を生きていく
30代になったとき、20代の時にどのくらい何をしてきたのかが試されるんだなぁと感じました。若いときにもっとこうしておけば…なんて思うことがゴロゴロ!
シャネルで有名なココ・シャネルの名言で、「20歳の顔は自然からの贈り物。50歳の顔はあなた自身の功績。」というのがあります。
この歴史は自分の功績で生きなさいと御言葉で言われました。
肉的にも霊的にも、功績を積んでいく生活、頑張ります。