最後までやることの難しさ
こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
暑いです
CGMサッカー大会
私たちCGMではスポーツをとおして神様に栄光を帰したり、教会のみんなと仲良くなったり、他の教会の人と交流をしたり、自分の健康管理をしたりと、とにかく自分が望むならばスポーツをする機会というのはとてもとても多いです。スポーツが上手な人たちが多いということで、先日、CGMでサッカー大会が行われたときにはたくさんの人たちが集まりました。
残念ながら、なおこはサッカー大会に応援に行くことができなかったのですが(最初から選手として出ようという考えが、最近…なくなっているorz)、日曜礼拝のあとで、選手として参加した人たちから、神様がどんな働きかけをみんなに対してしてくださったのか、足りない自分だったのに神様の名前を呼んで祈ったときに状況が変わったこととか、熱く、人によっては淡々と、涙ぐみながら話をしてくれたので、その話を今日はしようと思います。
牧師先生は、ズルい!?
ある一人がこんなことを言っていました。
「牧師先生がサッカーをされるときに、勝つまで試合をされるじゃないですか。それに対してちょっと『ずるいな』と個人的に思っていたんです。」
そうそう、そうなんです。
サッカーでもバレーでも、卓球でもテニスでも。牧師先生は負けていたとしても、最後には勝つんです。どんなに上手な人相手で、負けていたとしても、最後の最後には勝利で終わるんです。
それは、勝つまでやるから。
普通の競技なら、時間制限があったり、点数のリミットがあったりしますが、牧師先生がスポーツをされるときには、何分かかっても勝利するまで続けるし、何点いったとしても逆転して勝利するまで続きます。
それってズルいですか?
私も、ズルいな、というよりは、先生は勝利するまでスポーツされるからね~と考えることが多かったのですが、よく考えてみてください。いくらズルいとしても、勝利するまでやるって、かなりすごくないですか?その人もこのように話していました。
「でも実際に自分が走ってみて、めちゃくちゃ辛くて。仮に勝つまでやるとして、たぶん走り切るのは難しいというか。逆に言うならば、勝つまで走らなければいけないんだと思って、牧師先生、ズルいな~なんて思っていたその考えが覆りました。」
そうなのよ。
たしかに普通の競技とは違うかもしれないけれども
勝つまでやればいいっていうのを言葉通り行うってかなりすごいことなんですよ。
やったことのない人は、いくらでも文句が言えるけれども、やったことがある人はその大変さを知っているからわかるはずです。
空気入れをとおしての神様の働き
他の一人にも神様が素敵な御働きをしてくださったのでご紹介します。その人は、サッカーのこととは関係ないんだけど…と話し始めました。
開会式が始まる前に、隣りにいるチームが空気入れを忘れたらしくて「貸してください」って言ってきたみたいなんです。それで空気入れを貸したら、その直後に空気入れの針が完全に折れた状態で返されてしまったんです。お祈りの直前だったこともあって、その折れた針にうまく反応することができなくて、受け取って、よくよく考えてみると、すごく悲しい気持ちになってしまって、そのまま大会に臨むことになったことを話してくれました。
「空気入れを返してくれた子も申し訳なさそうにしていたし、責める気持ちは特にはなかったんだけれども、渡したものが完全に使えない状態で戻ってきたことに対して、神様が大会をとおして何を伝えたいんだろうと思うようになった。そう思いながら大会を過ごしていく中で、貸して悪い状態で戻ってきたならば、相手も申し訳なさそうにしていたし、最初から貸さないほうがよかったんじゃないかと思ったんです。」
いろんなことを思い出して、今までのいろんなこととこの出来事をつなげながら、いろいろと感じながら過ごしていたら、まさかの大会優勝賞品が「空気入れ」だったみたいなんです。優勝賞品の空気入れを渡された瞬間に、その大会で起きたいろんなことが腑に落ちたそうです。むしろ新しいものを与えてくださって、神様が愛する自分たちが失敗したとしても、悔い改めて立ち上がってもう一度挑戦しようとするときに、新しいものを与えてくださるという神様の愛を感じたそうです。
各自がいろんな神様の働きを
同じ大会に出て、同じチームで同じく試合に出て戦っていた人たちが、各自でいろんなことを見て、各自がいろんなことを感じていました。教会のメンバーと話していて面白いのは、同じ御言葉を聞いているのに、ある人には自分の考えが180度変わるような言葉を受け、ある人には別な部分で自分の変えるべき点を見つけることができ、ある人には神様が自分を愛してくださるって感じるしかないような言葉を受け取るんです。全く同じ御言葉を聞いているのに!
神様の働きを証(共有)しあうって、本当に幸せな気分になります。
受けた恵みを忘れたくなくて
また他の人で、そのサッカー大会での神様の御働きがあまりにすごくて、たくさんの恵みを受けて嬉しいものの、普段の自分の生活を思うと「こんなにたくさん神様からプレゼントをもらってもいいのか?」と思ってしまうようなことがたくさんあったそうです。
そんなたくさんプレゼントをもらったのに、サッカー大会が終わった途端、普段の生活に戻って、その大会で感じたもの受けたものがウソだったかのように忘れてしまうんじゃないかと不安になったそうです。
神様から受けたものを忘れたくない、でもどうしたら?って思っていたときに、聞いた御言葉で、その人が「やらないといけないとわかっているけど、避けられるなら避けよう」と思っていたことが出てきたので、「あ、やらなきゃ。やろう」と思えたそうです。
その内容が、御言葉が伝えられていたときに「確かに…」となおこも思っていた個所だったので、頑張ろうと思った瞬間でした。
神様は現実的で、ときにシビアなところもあるからな。
そんなところも好きなんだけど。
頑張ろう。
うん。