誰も苦しむことのない、皆が甲斐を感じて仕事に取り組める職場、これは実現できることだと思います。
こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。
今週主日に伝えられた説教が、働く人にとって本当に共感しちゃうようなことが入っていたので、共有させてください。
うまく運営されていく職場つくり
人はそうです。共に、一緒にやったらいいんですけれども、一緒にやったらいいということも分かってはいますが、やっているうちに一人でやるようになる。そういう傾向があります。
20200913主日礼拝
そうなんです。仕事って、よっぽどプロフェッショナルな部分はその人でしか!という部分もあると思うんですけれども、大方のことは一緒にやるとより効率的だし、ミスも減るし、理想的に恒久的に物事が進むと思うんです。みなさんの職場は違いますか?
私の職場では、団塊の世代が定年退職を迎えるころから、人事異動が激しくなり、どこの部署もうまく機能しなくなって内外からのクレームが増えている、そういう時期がありました。人が少ない、と言われているから人を増やしているのにうまくいかないどころか休職者が出てしまう課もありました。いろんな職場で、いろんな人たちと働いている中で思ったことは、誰が異動してもうまく仕事が回っていくシステムを作っていくことが大切だ、ということです。私は、一つの業務に対して複数人で担当し、誰が異動しても、誰が体調不良で急遽休んでも仕事が滞ることがないような職場を目指しています。複数人でやることで同じことを二人でやってしまっていたという無駄が発生したり、自分が作ったデータがいつの間にか書き換わって焦ることはありますが、日ごろから声掛けしていたらその無駄や心配はなくすことができます。日ごろからそのようなことが起こったときに受け入れられるような関係性をお互いに作ることが大切だなと日々感じます。
一人ですべてやろうとしているのを見て、「これは欲だ。これ以上は欲だ。」できないのに仕事を任せることができないというのは、欲です。
20200913主日礼拝
たしかに、任せることって結構難しいんですよね。はっきりいって、自分がやった方が速いし、任せて失敗されたらそのリカバリが面倒くさいし。でも、自分が作成したもののチェックって、自分に対して甘く見るので全然チェックにならないってありませんか?あえて違う人に見てもらって間違いが見つかる、ということはよくあります。たまに私が人に任せる姿を見て、「面倒くさいからって後輩にやらせるのか?自分でやれよ~」と言ってくることがあって、その時は「そんなつもりないのに!自分でやった方が楽なのにあえて任せているのに!」とメソメソしていたんですが、その人が異動してしまうと周りの人がそのあと苦労するケースも見られるので、よく思われたいからって全部やってあげちゃいけないな、と思ったりします。
また、仕事を一人で抱え込んで、その業務は他に誰も知らない、という状況は、自分のためにもほかの人のためにも作り出してはいけないな、と思い、そうならないように祈ることもあります。
一人でやろうとしたら、責任感も落ちます。自分がやらなければ、仕事がもう全然動かない。だから、損を被ります。損も多いです。自分がいくら秀でていると言っても、体力、考えがそこまで到達しないので、やることができないのです。
20200913主日礼拝
聞いたときに一瞬、「え、そうなんだ」と思ったけれども、すぐに「確かに!」という考えに変わりました。自分がやらなければ仕事が動かない、それが業務の根幹の部分でそのような状況になってしまったら本当にダメダメですよね。気をつけなきゃと思いました。
使命者の年齢
今日の御言葉、指導者たちを見ると、一人でやろうとします。指導者と言うからと言って、50代、60代、40代の人たちだけが指導者ではありません。使命もらった人は、幼くても、また年齢があっても、みんな指導者です。使命をもらった人たちを見ると、一人でやろうとする性格が結構強いです。
20200913主日礼拝
前回このブログにて2001年のハワイ国際平和大会に参加した時のことを書いたと思いますが、ある朝、大会参加者が集まったときに、その時の運営スタッフを牧師先生が紹介されていました。複数人のハワイメンバーが前に立つ中で、ひとり「女の子」がいました。牧師先生が一人一人ねぎらいの言葉をかけながらスタッフを紹介するのですが、この女の子の紹介の時に、この子が12歳であること、年齢がいくつであろうと天が任せるならば大きな働きができるんだ、ということをおっしゃっていました。それをきいてその女の子は照れ臭そうにしながらも喜んでいるように見えました。
ちなみにその女の子はいわゆる外国人の見た目で、東洋系ではありませんでした。2001年の時点でアジア圏ではない人もキリスト教福音宣教会にいたとは、今振り返るとすごいなと思います。
月明洞が作られるまで
先生も、一人ではなさいません。叱ってでも共にやるようになさいます。叱ってでも、教えて共にやって。教えながら、そしてある時はお手本を見せながら、共になさいます。
20200913主日礼拝
月明洞は海外にあるので、年に何回かしか行くことができないところであり、外国人である私がすべてを見てきたかのように言うことはできないんですけれども、牧師先生が一人で全部しちゃうような方ではないからこそ、あんな素敵な場所が作られたんだと感じます。
すべての説教を聞いて何がすごいって、この御言葉は口先だけの理想論を並べているのではないということです。神様が実際に牧師先生に体験させて、見るようにさせて、聞くようにさせて実感した内容、悟らせるようにした内容をもとに作られている御言葉だということです。だから聞いて納得するし、経験を通して共感するし、体験するときに実感することができます。ま、逆に、自分が行っていない部分については「どうしてそういうことを言うんだろう、そういう部分だけじゃないのに~」と理解できないときもありました。
友とするに悪き者、よき友
兼好法師の徒然草の117段にこんな話がありますよね。
よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師くすし。三つには、智恵ある人。
これについてはいつかブログで書きたいな~と思っていたのですが、主日説教のこの流れで出たので出しちゃいます(笑)
最も大きいことの一つが、みなさん、よく聞いてください。最も大きいことの一つが、食べ物を分けて食べること。食べ物を分けて食べない人を見ると、本当に憎たらしいし、「あの人、ちょっと微妙。あの人、本当に御力、能力がない。」
20200913主日礼拝
お母さんがいつもご飯を共に食べないで、一人で食べていたらどうですか?お母さんと言えませんよね。最も大きいことのうちの一つは、食べ物を分けて食べること。このように、時間を分けて使うこと、また使命を分けてやることです。
お中元とかお歳暮とか、自分の親世代だとそういうもんだと思っていたけれども、同世代の人とか後輩がやっているのを聞いて、そこまでする?とどちらかといえば否定的に見ていました。しかし仕事をしていくうえで「贈り物をする」ってステキだなという考えに変わっていきました。もちろん限度を超えるようなことをしてはいけませんが。お菓子一つ渡すだけで会話が生まれたり、やりとりが発生します。新人の頃、離れた課の先輩が何度か私の机の上にコアラのマーチを置いていくことがありましたが、その方、大出世しました。出世する中で悪いウワサを流す人もいましたが、少なくとも私はその人に対してはいい印象です。贈り物マジック!
教会の尊敬する先輩も、新しい職場で馴染むために、どこか出張するときにはおいしいお土産を探して持って行くようにしていたという話を聞いて、贈り物マジックは真実だなと思っていたところにこんな話が説教に出てきたので確信に変わりましたよ。
説教に出てきたことで、私に対して先生が食べ物を分けてくださったことを思い出して心の中がほっこりしました。
職場の悩みって、だいたい人間関係に起因していることが多くないですか?少なくとも私はそうです。
今週学んだことは、仕事をしていくうえで大切なのは、一人でしないこと、一緒にやること、そして物をあげること!!
今日紹介した内容は説教といいつつも本論に入る前のところばかりを引用しました。もしその日の説教を全文知りたい!という方がいたら、ぜひうちの担任牧師朱那さんに連絡して見てください。
みなさんの職場が天国の場所となりますように。
職場天国でたくさんの神様の愛と祝福を受けられますように。