寛容ラップbyACジャパン
こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
教会メンバーのなかでも完全リモート勤務になっている人もちらほらいるなかで、相も変わらず電車に乗って出勤しております。最近電車のなかで気になる広告映像があったのでそのことを書きますね。
「不寛容な時代~現代社会の公共マナーとは」
最近ACジャパンの広告が多い気がするのは気のせいでしょうか。その広告のなかで、こんな広告がありました。
(靴の音)タン!タン!タン!タン!
ACジャパン「不寛容な時代~現代社会の公共マナーとは」
強面男性> ♪Yo!もしかして焦ってんのかおばーさん 誰も怒ってなんかない アンタのペースでいいんだ 何も気にすんな 自分らしく堂々と生きるんだ
お婆さん> ♪迷惑かけてしまってるなって 焦ったらまさかの優しい発言 アタシも反省 見た目で判断 もう要らないわ色眼鏡なんか
強面男性> ♪みんな違うのあたり前
強面男性・お婆さん> ♪ひとり一人に リスペクト
店員> たたくより、たたえあおう。
いや~~。電車で流れるたびについつい見てしまいます。なんでしょうね。ワイプで手話をしている女性もまたノリノリでいいんだわ!最後の笑顔もどやぁって感じでまたいいの!!
イエス=キリストの教え
2000年前、イエスキリストが生涯を終えたあと、最初はイエスキリストの教えを迫害しようとしていたパウロでしたが、文字通り「目から鱗」な出来事が起こって180度の大変身を起こし、今日(こんにち)のキリスト教が世界に広まる基盤を築きました。イエスの教えを根絶させようと、一掃させようと(ユダヤ人たちがある地に)パウロを派遣したはずなのに、全然違うことになっているから、逆にこのように言われました。
さて、この男は、疫病のような人間で、世界中のすべてのユダヤ人の中に騒ぎを起している者であり、また、ナザレ人らの異端のかしらであります。
使徒行伝24章5節
「疫病」という言葉を使ってるだけあって、悪口のようにパウロに対して使われていたのですが、ある意味、すごく的を射ている表現だなと。当時の疫病、つまり伝染病ってなんでしょうね。ペストとか??パウロの行った宣教は、まるで疫病のように感染力と影響力があったので多くの宗教権力者には恐怖に思われました。
ペストに置き換えて考えてみるならば、その菌に感染すると一定の潜伏期間のあとにまず高熱が出ます。そして悪寒、頭痛、痛みをともなうリンパ節の腫れという普段健康な時とは異なる症状がでます。ペストは治療がうまくいかないと全身へ菌が広がり死んでしまいます。
それを言い換えるならば、福音は聞いて深く理解するとイエスキリストに対する激しい愛情と真理に対する飢え渇きの高熱が出ます。そして普段とは違う行いをするようになることで見えるものが変わっていきます。決定的に違う部分は、ペストは感染すると死に至りますが、福音は自分の中に入ると永遠の命に至ります。
そもそも悪口として言われた表現だけれども、ある意味合っているからうまい表現だなと思いました。
そしてイエスキリストの死後だけではなく、イエスキリスト自身も説教のなかでこのようにお話しになっています。
またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。
マタイによる福音書13章33節
天国はパン種のようなもので、どんどんと全体がふくらんでいく。
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」。
マタイによる福音書13章3節~9節
耕された良い地に落ちた種は、30倍にも60倍にも100倍にもふくらんでいく。
人を攻撃/口撃する言葉ではなく、人を幸せにする考え方、行動が、どんどんと広がって、みんなが幸せになってほしいです。
Our greatest duty and our main responsibility is to help others. But please, if you can't help them, would you please not hurt them.
Dalai Lama
私たちの最大の義務と主な責任は、他の人を助けることです。もしそれが難しいなら、せめて彼らを傷つけないでください。
なおこの好きな「偉人の名言」を引用させていただきました。
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今年の初めくらいに電車内での喫煙を注意されたことに腹を立てて高校生に15分間向かっていったという事件がありました。いじめ等のことがおこなわれているのを見たときに『それを止めて、自分が巻き込まれるよりは放っておいた方が安全だ』という考えを個人が選択するのを強く否定することはしませんが、『イジメは放っておくものだ』と常識化するのではなく、あくまで『イジメを止める方が正しい』という価値観が広まってほしいと私は思うのです。(この記事を取り上げた理由はインフルエンサーの影響が大きいです。)
自分勝手な願いかもしれませんが、自分も幸せになりたいし、自分の周りの人も幸せになってほしいです。そして人間として生まれたすべての人が、生まれたことに幸せを感じながら生きてほしいです。
大変なことがあろうと、難しい壁にぶつかろうと、絶望した経験がある人も、その先に希望があると思って生きてほしいです。だって神様がいつもともにしてくださって助けてくださっているから。
一人で幸せになるのって結構難しいので、東京主信仰教会のイベントなどにきっかけとして一度足を運んでみることをお勧めしますよ☆