人の心は岩よりももっと重い

brown mountain

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
うちの教会の名前は「東京主信仰教会」なのです。「主信仰教会」ではないんです。「東京主信仰教会」なんです。

コロコロかわるココロ

人の心は変わりやすいです。それは信仰の世界でも感じたことがあります。信仰の「し」の字もなかった人が、御言葉を聞いて、神様の愛に触れて、神様の愛の大きさを実感し、その愛が心で燃え上がって、「一生神様を愛していく!」と繰り返し話してくれたような人が、どんなすごいことも神様への愛で簡単にやってのけちゃったような人が、気がついたらあまり教会に来なくなっていて、会ったときに聞いてみると、「神様がわからない」と言ったり。そんなことがひとり、ふたりだけではありません。
神様は私たちに「自由意志」を与えたから、私たち人間を教会に縛ったりすることもなく、強制的に何かをさせるようなことはしないから、私たちが間違うことがないように示してくれることはあっても、信仰を失いそうなときに監禁をしたり、強制させたりすることはありません。
あんなに固く、強い信仰をもっていたはずの人でも、人の心は変わりやすいのです。だから、ある日の御言葉のなかで「人の心は岩よりももっと重い」なんて聞いて、最初は、いやいやそれはないでしょう、と思いました。

人は気分次第

これをするぞ!と思っても、でも○○だから今日はやめておこう、なんて自分でやらなきゃと思ったことをやらなくなることなんて、いつもあります。特に私の場合、自分との約束については後回しにすることが多いから、やらなきゃなと思うことについては人を絡ませることが多いです。同じことをやるにしてもその日そのときの気分によって、向かう姿勢も全然違います。

人の心は岩よりももっと重い。
しかしその岩の心をあちらこちらに葦のように揺らすものがある。
「気分」だ。
気分のとおりに動く。
気分が悪ければ悪の方へ倒れ、気分が良ければ善の方に傾く。
だから助けてあげ、喜ぶようにしてあげれば、神様が見えなくてもいらっしゃると言って信じるし、患難の時助けてあげなければ、神様の存在も信じられないと言う。
気分によって左右される。
聖霊様にもイエス様にも遣わされた人にもそのように接して一生生きていく。
彼らは「危険な信仰者」たちだ。

20240211主日の御言葉

最初に人の心は岩よりも重い、と聞いて「え?」と思ったけれど、そのあとを聞いたときに、納得。そうだよね。「気分」なんだよね。
気分ってすごいですね。重い岩さえも、簡単に、それこそ葦のようにゆらゆらとさせてしまうような力があるんですもん。
神様のチカラに満ち溢れて、いろんなことを天使たちが手伝うしかない神様への愛に溢れた時期には何でも面白いほどうまくいく状況で、神様への愛をひたすら叫んでいたような人でも、サタンがそれに気がついて、その人に対して誘惑を仕掛けてきたりじゃまをしてきたりして、願っているとおりにできないことが続いて自信を失ってしまうと「なんで?神様」といって疑ってしまう。
本当に気分、危険です。

疑う人は神様が手をつけることができない

仕事でも、なにかを教えるときにいちいち主張してきたり、自分の考えで教えたとおりにしてくれない人よりも、素直にやってみてくれると「いい子だな」と思ってしまいます。
疑う人は成長できません。うまくいくはずのこともダメになってしまいます。それは信仰の世界でも同じで、疑う人の肉体は神様が大きく使うことができないから、祝福をどんどん奪われていきます。モーセを疑った人も、カナンの地を目の前に見たにもかかわらず、祝福の地・カナンに足を踏み入れることはできませんでした。シン荒野で生涯苦労したことでしょう。
もちろん物事にたいして盲目的に信じることはしちゃいけないから、確認をするということは大切です。でも、疑って疑って、説明されても疑って、信じようともしないのはもったいないなって思う時もあります。

人は、自分が考えてもいなかったような「自分に関するとてつもなくものすごいこと」や「自分の尊敬する人のこと」を誰かが話したら、事実なのに疑ってまったく信じません。だから、わかってほしい人に対しては、「見せてあげる」ことが大切だなと思います。もちろん神様は目に見えないから、「見せる」ことはできないけれども、神様は実際にいらっしゃるから、神様の働きを「見せて」あげる。少しずつ話して見せてあげることで、認識が変わってきて、信じられるようになります。自分の心臓の実物を見たことがない人でも、自分の体内に心臓が存在して動いているということをその働きを通して知ることができるように。
人は自分の次元によってすぐ信じたり、すぐ信じなくなったりします。でも難しい困難の波が自分に襲い掛かろうとしてきても、次元が低いとすぐのまれてしまうけれど、次元の高い人はその波に乗っていくといいます。どんな波がきても、波を乗りこなせるような人になりたいです。それができなくても、波をうまく避けられるような人になりたいです。

団結すること

人は気分に左右されやすいから、どんな強い人でも心弱くなるときはあります。そんなときには、誰かと一緒にやることをオススメします。難しいときこそ、信頼できるような人と一緒になって乗り越えていく!絶対に信じていたことも、時代の艱難困難が来たときには、多くの人が心弱くなって疑ってしまうこともあるでしょう。誰だってそんなときはあるよ!否定をしてしまうときもあるでしょう。そんなもんよ!それでも、毎日、絶対に、御言葉を聞いて神様を認めて愛を告白し、祈り、心を大胆にして、信仰を堅固にしてこそ、神様、主イエス様が共にされて、聖霊様が共にされるようになるから、信仰が青銅の柱のように丈夫になります。

最近、あまりの運動不足さに危険を感じ、よりちゃんに頼んで朝、週に一度だけれども、一緒に走ることをお願いしています。一人でも走れるはずなんですけれど、寒いから、眠いから、一人で走ったためしはありません。
自分に甘いなおこですから、誰かと一緒にやるからこそできるのです。
よりちゃん、本当にありがとう~~T_T

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