聖書に出てきたお金持ちの青年の話

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こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
雨が降るのか、洗濯が干せるのか、最近は天気予報のチェックを欠かさないです。でも、干そうとした朝にうっかり忘れていて、仕事に行く直前に「あ!今日洗濯物干さなきゃなのに!」となることもあります。雨が降る日は外には干せないですね。

お金持ちの青年の話

さてさて、今日は新約聖書に登場するお金持ちの青年の話をしようと思います。さっそく読んでみましょう。
約2000年前、イエス様が行くところ、たくさんの人たちがイエス様を一目見ようと、イエス様のなされることを一目見ようと群衆が押し寄せてきました。その数5000人(ヨハネによる福音書6章参照)!ある人はイエス様に答えを求めて質問するし、ある人はイエス様を試そうと質問するし、またある人はイエス様がボロを出さないかと探しながらついてきました。
その中で一人の青年がイエスに近寄って質問をしました。「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか?」。するとイエス様は戒めを守りなさいと話し、 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。父と母とを敬え』そして『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』という戒めを守るように言いました。するとその人はこのように返しました。

この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

マタイによる福音書19章20-22節

この聖句を読んで、お金持ちは救われないというように書かれているような感じがして、何とも言えない気分になったことがあります。貧乏なほうが救われるの?え、そんなの嫌だ。それに、海外を見てみると、大金持ちや成功している有名人が「宗教:キリスト教」とされている人もいるし、どゆこと??

アドナイ・エレ

ある日の説教にて、その青年の話が出たときに、そのあとの解説を聞き進めていくときに、一人の聖書の人物を思い出しました。

これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。 神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。 

創世記22章1-2節

信仰の祖先といわれるアブラハムにはなかなか子供が生まれなくて、不妊の妻サラとの間に年老いてやっとのことで生まれたかわいいかわいい息子イサク。なんと神様はそんなアブラハムにそんなことを言ってきたのです!!
もちろん信仰の祖先といわれるアブラハムであろうと、心のなかで「でえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」と心のなかで思ったと思います。いや、信仰の祖先といわれるアブラハムだから、もしかしたら「かしこまりました、神様、アーメンです」とすんなり思ったかもしれません。…いや、思わなかったはず!!
どう思ったのかは書いてありませんが、自分の考えを置いて神様のおっしゃる通りにアブラハムは行いました。

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

創世記22章9-13節

神様は試されます。本当に私を愛しているのか。口先だけではなくて、心からそう思っているのか。だから信仰の祖先といわれるアブラハムに対して、とんでもないことを命じました。
アブラハムの心が真実であることをその行動からはっきりと確信することができて、結局愛息イサクを殺すことなく、無事に燔祭をささげ、ますます祝福をうけるようになりました。

青年はどうするべきだった?

さあ、アブラハムの話を読んだあとに考えるならば、冒頭の聖書の青年はどのようにするべきだったのでしょうか。ある日の中高生に向けた主日の説教のなかで、チョウン牧師がこのように伝えられました。

青年はこの御言葉を聞いて、びっくりして心配して帰っていきました。「すべての戒めを守ったのに、『すべての持ち物を全部払って貧しい人にあげて従いなさい』って?」イエス様が本当に「じゃあ、アーメン、行きます。全部持ち物を売り払います」と言ったら、そうしたらイエス様が止めたと思います。「あなたの心が分かったから、ちょっと自分の物もちょっと残して、それで従いなさい」と面談してくださったでしょう。そう私は思います。

20220522中高生に向けた主日礼拝にて

たしかに。そうか。この解説を聞いたときに、納得してしまいました。
もしかしたら、(ここからはなおこの勝手なる推測ですが)その青年に対して、ただのその地域の青年に教えるというよりは、12弟子のように近く、重く接しようとなさっていたので試されたのかな、と思いました。もしこの金持ちの青年が「先生、わかりました。私の持っているものをすべて売り払い、貧しい人々へ施します!」と家に向かおうとするならば、その姿を見ただけでイエス様が「あなたの心はわかった、これからは私についてきなさい」とおっしゃってくださったのではないかなと。

私たちはこの御言葉を私たちに適用させなければなりません。こういうふうに完全でない部分を話したのです。自分の持ち物によってすべての戒めを守ったけれども、その持ち物によって何か引っ掛かる部分があったでしょう、きっと。だから、イエス様もその部分を話してくださったのです。それで、この御言葉を私たちに適用させます。「でも神様、私、本当によくやりました。戒めも全部守りました。バイブルスタディで話されたことも全部守って行なっているし、全部守っているみたいに行なっていますが、ここで何をすればもっと完全になれるでしょうか」と私たちが神様に尋ねるならば、神様はこうおっしゃいます。「今日の御言葉を聞いて行えば、完全になる。どんなことがあっても最後まで私エホバと一体になって生きよう。」

20220522中高生に向けた主日礼拝にて

なにがあっても、どんなことがあっても、ただ神様と愛で

さあ、5月22日の主日説教で、中高生たちにどのようにしなさいとおっしゃったでしょうか。
それはここでは書かないので、皆さん、あらためて5月22日のご自分の御言葉ノートを見直してください。説教を聞きなおしてみてください。
「東京主信仰教会に通っていないから、わからないよ」という方は、ぜひうちの教会の担当牧師にアクセスしてみてください。

みなさんの人生が、神様にもっと愛されたものとなるように。

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