20代の私が、人生100年時代に後悔しない働き方を考えてみました

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お久しぶりです、約一年ぶりのゆいちゃんねるです!

最近ある本の著者が、長く働いた期間を振り返って冒頭の謝辞にこのように書いているのを見つけました。

“名誉のある楽しい仕事だった”

この文章を読んで、素晴らしいことだなと思いました。

何かを経験するとき、私たちは「感じる」ことが易しいです。

「楽しかった?」「つまらなかった?」「良いと思った?」「嫌だと思った?」

こうした質問には、直感で感じたことをもって易しく答えられることが多いです。

しかし、あれこれと経験した、ある程度長い期間について言葉で表現するには、「考える」ことをしてみないと、一言で表現するのに言葉に詰まってしまいます。

だから、長く働いた人がその仕事について考えてみて、「名誉のある楽しい仕事だった」と振り返ることができることは、素晴らしいことだと思いました。

「後悔はない」と言い切れる?

20代の私は、社会人生活をスタートさせたばかりです。

人生100年時代といわれる時代に生きながら、自分自身の人生を考えてみたときに、

―果たして理想的な人生を生ききることができるのか?

―人生を締めくくるとき、「後悔はない」と言い切れるのか?

不安に思う世代です。挑戦と成長の機会を多く得ていながら、いつも重要な選択の岐路に立たされ、のちにそれによって左右されることのあれこれも十分に考えうる世代だからです。

一つのことをやろうと決心したら、もう重機のように突き進む力がある一方で、いつも方向を間違えていないか、結末にガッカリすることが起こらないか、毎回不安と恐れに陥ります。

ひとりでやると、そうなります。

いくら変化の兆しがあるよい時代に生まれても、すべてを自分が負い、ひとりで生きてみたら、逆に重荷が多いです。

働き方を変えた一言

聖書を読んでみると、神様はこのような私たちの心理をご存じだとつくづく思いますが、旧約聖書にはこのようにあります。

“あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る。
箴言 16:3”

私たちはあれこれ計画します。

わりとすぐに手に取れるものから、ないものねだりに至るまで、計画の構図を描くだけ描きます。

しかし、実際に成そうとする過程で難しいことのほうが多いです。予想外だらけで、到底手に負えません。

「神様にゆだねること」、この意味をわかって神様にゆだねて生きるのと、そのままただ自分だけひとりで頑張って生きるのとでは別世界でした。

これこそが私にとっての働き方改革でした(笑)

時間を、リソースを、分担をどうこうするということよりもまず大切なのは

人生を、自分自身を、仕事を、根本的にどう考えるかが大切だと御言葉を聞く中で気づかされました。

冒頭に書いた、「感じる」ことと「考える」ことについていうならば、「感じる」ことは正直その時まかせでも、「考える」ことは意識できます。

“主にゆだねよ”。

神様にゆだねること、この一つを忘れずに考えて生き、働いた人生の最後を想像してみたら、後悔はないと思える人生になったことに感謝したいです。

みなさまの人生も、神様にゆだねてみることで人生100年時代を後悔なく生きられるようにお祈りします。

それでは、次回ゆいちゃんねるでお会いしましょう!

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