一枚のペーパーと自分の価値

みなさま、お久しぶりです。
ゆいチャンねるです。


"数学力は一枚のペーパーからわかることではない"

最近、ふと、中学校の数学の先生が言っていた言葉を思い出しました。

"数学力は一枚のペーパーからわかることではない"

小学校から中学校に上がって数学が難しくなり、点数が伸びなかった私は本当にテストが嫌で"一枚のペーパー"に悩まされていましたが、数学の先生のこの一言でとても心が軽くなったのを覚えています。

今でも社会で生活しながら、集中して取り組んでいるうちについつい手に取れる結果にこだわっている自分がいますが、よく考えてみれば、それが全部じゃない。

テストで50点をとったら、50点の人間なのでしょうか?
星5つ評価のうち1つしかつかなかったら、星1つ分の人間なのでしょうか?

全く違います。
定量化した点数や評価は、効率的に次への戦略を考えるための材料でしかないと思います。

だから自分にとって一つがダメだったからと言って、それが私たちの全てではないし、そもそも私たちは宇宙、地球世界まで考えるならばあまりにも狭い範囲で生きています。
知識の範囲も、同様です。

幼い時、若い時は特に一つができないと全部がダメだ、、となりがちです。
経験値が少なくて、見ている世界が小さいため「数学の点数が悪かった」というのが世界の全部のように感じてしまう。
そうしたら、誰でも絶望するしかありません。私もそうでした。


一枚のペーパーと自分の価値

では、私たちはどうしたら良いのでしょうか?

私が教会に通って学んだことの一つに、自分の価値や可能性はいくらでも学び、感じて生きることができるということがあります。

人間が到達することのできる知識の範囲は限られていますが、自分についてはいくらでも知ることができる。

世の中の多様な知識を身につけたいとも思いますが、自分についてもっとよく知ることができたら、同じような心を持った人間の心理がわかるようになり、自分の成功・失敗体験を通して成功・失敗のロジックや方法論を学ぶことができ、自分に関わること・ものに目を向けてみるならばあらゆるものの存在法則とそれらとの関わり方を学ぶことができます。
果てしない世の中の知識を追いかけるよりも、自分について研究する方が難しいように見えて実は易しいです。

だから本来私たちが可能性を求め、希望を持つのは"一枚のペーパー"ではなく、自分自身だということです。

"一枚のペーパー"に自分の価値を決めることはできないです。

もし、"一枚のペーパー"に価値を決められている感覚が少しでもあるとしたら、もっと自分自身について学び、自分の価値を"一枚のペーパー"か、それ以下に縛り付けている考えから脱することが大切だと思います。
私も日々少しずつそういう考えから脱する挑戦をしています。

発展した世の中では特に自分を縛るものが多いです。
しかし、これを読んでくださった方が自分の価値を見つけるために一緒に頑張っていると思えば頑張れます。

今日もそれぞれの場所で一緒に頑張りましょう!!

また、ゆいチャンネルでお会いできるのを楽しみにしています(^^)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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