鳥カフェに行ってきたという話

person using espresso machine

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
教会に通っていていいなと思う一つが、「自分だったら絶対考えなかったことに誘ってもらえる」とうことでしょうか。ということで、今日は鳥カフェに行ったときの話をしようと思います。

鳥カフェ

「カフェ」といいながらも、お茶とかするスペースは一切なくて、逆に安心してしまいました。置物のようにたたずんでいるフクロウたちに、どうすればいいのかと最初戸惑っていたけれども、そこは誘ってくれた子に倣ってすごしてみました。ポンチョも貸出されていたので、足元の糞には気をつけながらも、服に糞を落とされる心配は激減いたしました。
鳥が大好き!!というわけでは決してなかったはずなのですが、人に慣れているので頭の上に、肩の上に、手の上に、どんどんとまりに来てくれるんです。そう、まるで自分が人気者になったような。そんなんだから、どんなにすごい音量で鳴かれようとも、なんか心が落ち着いてくる感じなんです。
かわいい。
かわいかった。

餌をあげようものなら

入場料が必要なのですが、鳥におやつをあげるというオプションもあるわけです。複数でいったので、フルーツ、ナッツ、豆苗、いろいろ種類をあげることができました。おやつをあげるときなんて、めがけて集まってくるので、自分が人気者になったという勘違いもさせてくれます。
片足で立ちながら、もう片足で上手にナッツをもって、食べていく。一番人気はフルーツで、入っているタッパーをこれでもかと穴をあけながらもフルーツにあずかろうと一生懸命でした。気がついたら手の甲に内出血ができていたので、いつの間にかついばまれていたんだな。
自分の身体にとまったときに感じるその程よい重さがなんか、愛おしい、そんな感じでした。
最後、おしゃべりが上手なインコと挨拶して帰りました。

仲良くするということ

自分の手にたくさんの鳥たちがとまりにきてくれるんだけれども、その鳥たちが、自分の手を甘噛みじゃなくてけっこう痛くついばむ、むしろ噛んでくる子たちもいるんですよね。私にたいして噛んでくる子にたいして、ぎりぎりまで耐えてみるけれど、本当に痛いときには振り払ったり、噛むのをもう一つの手で邪魔しちゃうよね。そんなことをしてくる子には「かわいい」というより「ちょっとっっ怒」ってなってしまいました。
逆に、仲良くすり寄りあっている子たちや、毛づくろい(で表現合っていますか?)していたり、私に対してもポンチョのジッパーに一生懸命になってずっと手元にいてくれる子や、なにもせずにただ肩にずっとたたずんでいたりする子にたいしては、なんか、ちょっと嬉しくなりました。
そこまで興味あっていったわけじゃなく、むしろ誘われて「ここで行かなかったら一生いかなさそうだな」と思っていったくせに、予想以上に満喫してしまい、予想以上に滞在時間が長くなってしまいました。もちろん一緒にいた子たちも私と同じ心境だったに違いない!

動物のカフェの話題になると、人によっては「動物虐待」とか考えてしまう人がいると思いますが、その人たちに対しては、今回のブログ、気分悪かったでしょうか。ごめんなさい。
でも、鳥カフェ、楽しかったです。また次回行く機会があるのかないのかわかりませんが、楽しかったです。

神様から見て、「ちょっとっっ怒」 と思われることなく、「かわいい」と思われるような行動をしていきたいです。

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