信仰と希望と愛

women shaking hands

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
結婚式ってすごくいいですよね。式もいいし、披露宴もいい。幸せのおすそ分けいただけるのって嬉しいです。

愛の章

よくキリスト教は愛の宗教だといわれますが、キリスト教式の結婚式で、必ずといってもいいほど引用される聖句があります。

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

コリント人への第一の手紙13章4節~7節,13節

どうです?聞いたことがあるし、何なら牧師さんのあとに復唱したこともあるでしょう。
私はこの聖句を引くたびに、信仰と希望と愛、その中でも愛が大事なんだー…と思っていました。

人間だもの

「愛が大事なんだと思っていました。」そう、過去形なんです。

みなさん、神様の歴史は最高の愛と言いますよね。私はみなさんに言います。信仰、希望、愛。その中で一番大きいものは愛だと言いますが、愛があるためには信仰が必要でしょう。みなさん、信仰、信頼が壊れた関係で愛することができるでしょうか。(……)先に基本的に必要なのは信仰です。信頼です。

20220731中高生に向けた御言葉の時間にて

そうですよね。たしかに!!
夫婦間であれ、親子間であれ、信頼関係が壊れたらすべてが壊れてしまいます。信頼関係が崩れていても愛しているという状態だとどんなでしょうか。愛しているけれども、信じられない。愛しているけれども、誤解ばかり、疑いばかり。ハッピーじゃないですよね。愛どころではありません。
信頼の上に立った愛でこそ、愛が完全になれるのかなと。神様にたいしても、本当に信仰に堅く立った愛であってこそ、しっかりと信仰生活ができるのです。信仰がはっきりしていてこそ愛が完全です。固い信仰という土台の上にある愛を持っている人であってこそ、どんなことがあっても責任を負ってやっていくし、自分の人生についても責任を負っていくことができます。
愛する人、夫婦、親と子、倦怠期が来て問題が生じないでしょうか。問題が生じた時、困難が生じた時に愛で解決するんでしょうか?私は「信頼で解決する」と先月の御言葉で学びました。固くない、揺れる信仰の上に立った愛だとどうなるのか、「神様、愛しています。主を愛しています」と言いますが、結局、背を向けて、そっぽを向きます。
愛されることはとても嬉しいことですが、そんな愛ならば、どうしても不安で素直に喜べなくないですか?

愛、とは

神様の存在に実感がわかないという人は、一度御言葉を聞いて、聖書に照らし合わせてみてください。そして御言葉を聞いて、生活のなかで実践してみてください。ひとつひとつ祈りながら行っていく中で、ぜひ神様に対しての信頼度をぐんぐんと上げていってください。

人同士の信頼は、言葉から先に生まれてきます。その人の言葉を聞いてみて、その言葉と現実が合っていれば、「信頼できる人かな。信頼に価する人かな」というふうに信頼が生まれていきます。神様の歴史も同じなのです、信仰も同じなのです。御言葉を聞いた時に、言葉を聞いた時に信仰というものが湧いてきます。

20220731中高生に向けた御言葉の時間にて

いつも愛溢れる御言葉をあたえてくださる神様に感謝します。
いつも御言葉で道を示してくださる神様に感謝します。
いつも心折れそうなときに温かい言葉をあたえてくださる神様に感謝します。

神様、愛しています!

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