恨むことなく~2024年最近の御言葉から
こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
ふるさと納税返礼品はもっぱらフルーツを選ぶことが多いです
恨みたくなるもの
生きていく中で、完璧な人はいないから、うまくいかないことも多いし、思いどおりにならないことも多い。もちろん自分が足りなくてできないこともあれば、最大限やってもダメで、どうすればよかったんだと恨みたくなるときもある。そんなときに、こんな御言葉を聞いた。
私たちが恨んでいるものが、
2024年御言葉から
神様の時になれば、私たちの願いを叶えてくれるものになる。
(中略)月明洞の山奥、恨みの山奥だったが、ときになったら、理想世界をなした。
あなたたちみんなもそうだ。
牧師先生の故郷、山の奥にあるその村は、若い頃の先生にとって恨みの山奥だった。特に、前山がなくなることを切実に祈った。前山のその存在自体がとてもうっとうしくて耐えられないと恨んだりもした。
でも時がたって、まさかその前山を使って神様がこんな大傑作を作ろうとなさっていたと、あのころの牧師先生には想像もできなかった。私も月明洞で初めてその野心作を見たときに、何度も写真で、動画で、見ていたはずにもかかわらず、驚いた。その大きさに、その雄大さに、その美しさに、その大きさに(2回目)、ただただ驚いた。こんなものがあるんだと驚いた。写真と全く同じだけれども、全然違った。見に行くたびに、マイナーチェンジをしていて、いつも違った美しさを見せてくれる。その野心作、もし前山がなくなっていたならば、存在しなかったでしょう。
どこにいても、感謝
どこにいても環境が悪いといわずに、先生がどんな状況のなかでもそうされているように、感謝していこう。神様の時になれば、必ず神様が理想世界をなしてくださる。もちろん私が願っているとおりに実現するわけじゃないかもしれないけれども、私が想像していたものよりももっといい歴史が広がっていくはずだから。
知らなければ無知のなかで相克をする。神様にたいしても、神様が私のためにつかわしてくれた人のことまでも。だからそうならないためにも、いつも感謝していこう。
どこにいても環境が悪いと言わないで、感謝していこう。イスラエル民族がカナンの地に行く道中で「大変だ」と恨んでいるうちに、カナンの地に足を踏み入れることなく荒野で過ごすようになった。そうなることがないようにも、いつも感謝していこう。感謝してカナンの地に足を踏み入れた彼らのように、いつも感謝していこう。
神様のなさることというのは、私たちの考えとは全く異なる。天が地よりも高いように、私たちの考えよりも高い。イエス様に、聖霊様に、神様に、いつも感謝して生きていこう。
たとえ苦い杯を飲んだとしても
目的を成して みんなが悟って分かったら
2024年御言葉から
苦痛の出来事を 幸せの扉が開く鍵として使ったと言うだろう。
だから患難と迫害と 無念な苦い盃を飲んでも
感謝と愛をしながら生きなければならない。
たとえひどいことを言われようとも、大変な状況に陥るようにされたとしても、ときになれば必ず神様が報いてくださる。相手にも、私にも。
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神様の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
ローマ人への手紙12章19節
恨むのではなく「敵を愛する」ことで、人を憎む罪を犯してはいけない。難しいけどね。ついつい恨んじゃうんだけどね。つらいときほど、もっと気を引き締めて、慎んで、神様を求めて生きていきたい。
あーーーーーーーーー
何年たっても、何歳になっても、難しいなーーー!!
がんばるぞーーーーー!!