人間の可能性

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです。
梅雨があけて、暑い暑い日々が続くのかと思いきや、また雨が続いていますね。
この週末のわずかな晴れの日に洗濯物を何とかしなきゃ。

神様は愛で人間を創られた

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう。」神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記1章26-27節

神様は私たち人間を、それはそれは言葉では言いつくせないくらいに愛しているんだということをこのブログを読んでいる人たちはひしひしと感じているんだと思うんですけれども、それでも「どのくらい?」というならば、完全である神様のかたちに創造してしまうくらい好きなんですよ。
たとえるならば、愛する人に似た子供を産みたいと思うように、でしょうか。かなり愛している度が高いことがわかると思います。
肉体がある人間ながらも、全知全能なる神様に似せて創られたわけです。牧師先生の哲学に「主とともに最後まで」というものがありますが、神様の御言葉にしたがって最後まであきらめずに行うならば、必ずできるということですよね。私世代の日本人がみな知っているかのバスケットボール漫画にも「諦めたらそこで試合終了ですよ」に通じるものがあると感じるのは私だけでしょうか。
神様が私たち人間を愛して生んでくださって、愛しているからこそいろんなことができるようにとすべてを創造してくださいました。
さあ、人生100年、どのように生きたいですか?
妥協することなく、諦めることなく、すべての祝福を得ていく人生を生きたくないですか?

人間は、何でもできる

若いころに洋画を見るのが好きだった母が以前こんなことを言っていたことがありました。「20年前、30年前にアメリカの映画で描かれた内容が今実現してるのよね」って。母がどんな映画を観ていたのかは具体的には聞いていませんが、タブレットやスマホで何でも検索できたり通信できたりするし、車の自動運転だって実現化に向かっていますよね。声だけでいろんな指示を機械にできたりするし、かの有名な7つのボールを集める漫画に出てくる『ポ●ポ●カプセル』ってUSBの変形のように感じるのは私だけでしょうか。昔「そんな夢みたいなこと」と思われるようなことがどんどん実現化されているのです。
もちろん肉体の不老不死だったり、過去に未来に行ったりという神様の法則に反したものは実現はされないんだろうとは思いますが、基本的に人間の想像できるものというのは、人間ができることばかりなのではないかなと思うのです。

今週は「神様が天地万物と人間を創造なさった目的をまずわかってなしていきなさい」という御言葉を伝えてくださいました。そうしてこそ<神様の想像目的>もなし、<自分の生の望み>も完全に成して生きるようになるとおっしゃいました。

2021年8月18日 水曜礼拝

できない理由は挙げればきりがありません。忙しいからできない、持ってないからできない、私にはできない。でも、神様が「できる」っていうならば、なんかできる気がしませんか?神様の御言葉を聞いて、神様が自分に置いた御心をわかって、御言葉を実践して、御心を成すなおこになりたいですし、その中で自分の望みをかなえていきたいです。

行いがなければ

わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったらなんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、あなたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

ヤコブの手紙2:14-17

口だけの人には人はついてきません。
牧師先生がすごいのは、牧師先生の説教から語られる内容はすべて、牧師先生自身が生活の中で経験して体験してきたことが語られているということです。
口だけの上から物言う人にならないように気をつけていきたいと改めて思ったなおこでした。

人間の可能性” に対して1件のコメントがあります。

  1. 鹿児島の西郷ど〜ん より:

    「口だけの人には人はついてきません」
    ってほんとにそうですね(^o^;
    言うは易し実践は難し。。。

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