わずかな差が大きな差

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こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
オリンピックの年でしたね。みなさんはご覧になっていたのでしょうか^^?

銀でもキンサ

以前冬季オリンピックのときに、スピードスケートでわずかな差で2位となった選手がいました。そのときの電車の吊り広告に「銀でもキンサ」とその選手の頑張りに金メダルをあげたい気持ちだというようなフレーズが記載されていました。ほんと、一瞬。特にオリンピックなんていう世界の頂点の頂点を決めるような場面でこそ、その差は100分の数秒、ときには1000分の1秒の差。本当にわずかなんです。僅差なんです。
それって他のことにも言えるんですよね。
人間を相手にしたとしても、挨拶ひとつ気持ちよくできただけで「印象のいい人だ」と思われることがあるし、なにかちょっとした約束ひとつ守れなかっただけで「だらしない人だ」と認定されてしまうことがあります。なにか大きく極的に違うというよりは、わずかに、少しのポイントが違うだけ。

ブログ書くにあたって一応吊り広告のフレーズがあっているかを検索してみたのですが、ちょっと出てこなかったです。間違えていたらごめんなさい。

続けるということ

子どもたちに人気のあるYouTuberがいますが、彼に対して「あんなの面白くない」とディスっている文章を見たことがあります。また、ある直木賞作家のかたが、エッセーの「同一雑誌におけるエッセーの最多掲載回数」としてギネス世界記録を受賞したけれども、面白くもないというコメントに対して、あんなにたくさん書いているのだから、面白くない回があってもしょうがないという表現をされていたのが面白かったです。
そう、そのYouTuberが面白くないと言う人がいるにも関わらず、あんなに人気があるのは「続けているから」だと思うんです。「続ける」、これって才能のひとつだと思いませんか??

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

マタイによる福音書24章13節

最後まで行くこと、これがどれほどすごいことなのか。
最後まで行くことができる人がほんとうに一番強い人だと思います。もちろん最後まで行くためには、最後まで行くことができるだけの力がなければなりません。
一瞬だったらできる。1日だけならできる。いやいや、3日ならなんとか。1週間できたよ。1年続いた。もう10年も続いている…。期間が短ければ短いほど、できる人は多いです。続けることこそが難しいんです。だからこそ、最後まで行き続けることができたならば、周りの人がいつの間にか辞めていなくなって、結局できていたのは一人だけだなんて、ありえる話。
御心であるならば、どんな患難・苦難があろうとも、最後までやってこそすべて行なう!最後までやれば勝つ!

もちろん人間ですもの。肉体は無休で働き続けることはできません。誰でも途中で休んだりもしながら、希望で最後までやれば(御心ならば)できます。そのように神様はこの世界を創造されたし、私たちをそのように創造されました。
しかし耐え忍んでやればできるのに、途中でやらない。最後までやれば得るものがあるのに、やらない。最後までやってこそ得るし、得てこそ、次のものをまた得る道が生じていきます。
最後まで行うことの味をしっかりと味わっていくなおことなりたいです。

続けるために、心振り動かしていこう

続けていくためにはどうすればいいのか。

そして主は、シャルテルの子、ユダの総督ゼルバベルの心と、ヨザダクの子、大祭司ヨシュアの心、および残りのすべての民の心を、振り動かされたので、彼らは来て、その神、万軍の主の家の作業にとりかかった。

ハガイ書1章14節

続けていくことこそが成功の秘訣だからこそ、本当に多くの人たちが続けていくためのコツや方法を研究してきていると思います。習慣化させるために工夫したり、いろんな方法があるかと思いますが、結局は人間の心次第です。民の心を振り動かされたこと、つまり心躍らせて、興奮させていくことで、神様の聖殿の建立作業にとりかかることができたのです。
神様は大きい仕事をさせるとき、さまざまに助けてくださるけれども、神様が助けてくださる方法のうちの一つが、ひとつになって喜んで行うように、人々の心を感動させて興奮さえることだと思います。個人に対しても、1つの教会に対しても、一国に対しても、神様の御心のために行おうとするならば、神様は感動を与えて、興奮させて、喜んで行うようにさせます。
人は喜びと望み、希望で生きていく。
だからこそ、神様の御心どおりに、大変でも耐えながら、続けて行っていくならば、続けて行っていくぶん、目的を成す喜びと希望が心に満ち溢れていきます。目的を成す喜びと希望が心に満ちていくから、また更に興奮して更に続けてやって、更に喜びに満ちていく、そういうループに入っていうことでできるようになります。
続けていくことで、ときに不満を感じたり、面倒さを感じたり、耐えられないことが起こって憤ることもあると思います。でもその憤りですらも我慢し怒りを治めて耐えていくならば、その義によって来る「喜びと興奮」が続けて溢れるようになります。よくても悪くても、耐え忍ぶことができないならば、希望、喜びの未来が終わって心の興奮が終わっていきます。

ダメ、絶対

続けるために、心興奮させていくことが大きいとしても、絶対手を出してはいけないのは、麻薬やタバコ。それは一瞬興奮させて高揚することができるとしても、ほんとうに一瞬だけ。一瞬の高揚のあとには、幻覚妄想や不安感、激しい気分の移り変わりによって心が、体が壊れていくだけですから。
神様が御心をなすために与える「義の心の興奮」は、麻薬からくるそれとは異なって、忘れないかぎり永遠に続く幸福感を得ることができます。

最近、ニュースを見ると、特別な学生じゃない子だとしても、薬物の危険性に晒されている状況であることを感じています。絶対に負けないで、そんな誘惑。

神様とともに、最後まで

‐経済に成功したら、経済に該当する苦痛も来るし、喜びも来る。
‐政治に成功した人たちは、政治に該当する苦痛と患難が来るし、喜びも来る。
‐宗教に成功した人たちは、そこに該当する苦痛と患難が来るし、喜びと興奮も来る。
‐愛に成功した人たちは、愛に該当する苦痛も来るし、喜びも来る。
‐芸術に成功した人たちは、そこに該当する苦痛と患難が来るし、喜びも来る。
‐よい環境を得たら、それに関する患難が来る。喜びと興奮も来る。

20240825主日の御言葉

続けること。
難しいことだけれども、続けていくこと。
それが成功の秘訣。願うものを得ていくためのコツ。
もちろん続けていくなかで大変なことはあるかもしれないけれども、そのなかでも喜びを見出して続けていくことが大事。

負けない事 投げ出さない事 
逃げ出さない事 信じ抜く事
駄目になりそうな時 それが一番大事

「それが大事」大事MANブラザーズ

以前所属していた教会の牧会者のかたが、任期を終えて牧会を降りるときに「自分が頑張ってきたこと、それは牧会していた期間、一度も体調を崩さなかったこと、そして一度も朝のお祈り会を欠かすことがなかったこと」とおっしゃっていたことを思い出します。確かに、その方はなにか特別にスポーツが得意だというわけではなく、なにか特別な芸術的に長けたものがあるわけではなかったのですが、だからこそいつも書籍で組織の中で教会のみんなが活きるようにするためにはと研究され、実践されていました。
1日くらい朝早く起きて神様に熱く祈ること、それは多くの人ができると思いますが、数年間、一度も欠かさず朝祈り続けるということを、どれだけ多くの人が実践することができるでしょうか。その方が牧会しているとき、本当に教会に集まるメンバーひとりひとりが、いつも生き生きしている姿をしていました。

神様、私が続けることができる知恵を与えてくださって、私が最後まで至ることができるように助けてください。

神様、いつも感謝します。

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