天が地よりも高いように、神様の考えは私の考えよりも高い

mountains and trees

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
今朝は虹が出たそうです。虹、約束の虹。

えぇ〜〜ぃ、静まれ静まれ〜〜〜ぃ

全知全能の神様ですもの。いち人間の私よりもそれはそれは大きな方、比較にもできないような存在です。でもなんでしょうね。自分が少しでも齧ったような内容だと、口を出したくなるときあるんです。自分の思った状況じゃない方向へいくときに、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと口を出してしまう。あとから考えたときにはなんて愚かなことをしたんだろうと後悔するのですが、ときすでに遅しなんてこともしばしば。それでも未熟で不完全ななおこをわかって赦してくださる神様、なんて寛容なんでしょう。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イザヤ書55:8−9

牧師先生が月明洞の野心作を創られるときに、あまりの時間、労力を投資して行うにもかかわらず、5回崩れたことはキリスト教福音宣教会に通われている方はみんな聞いたことがあると思います。私が初めて月明洞に行ったのは2002年。そのときには今の野心作がおおかた完成している状況だったので、この作品が神様の全能さを、芸術的な偉大さを感じるに十分な作品であると感じ、驚いたことを覚えています。おかしいですよね。写真で、映像で、野心作をすでに見たことがあったにもかかわらず、いざ現物を見たときに、驚いてしまったのです。そう、見ていたはずなのに、自分の想像を超えるような作品だったから。

天におわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも全知全能、万軍の主なる神様にあらせられるぞ。え~い頭が高い。控えおろう!神様のお考えに口を出すつもりか!??え〜〜い

神様は想像もできないことを話され、仕事もさせ

神様のなさることは大きすぎるから、肉体を持っている人間にとっては理解ができなくて疑うことがあります。神様は人間の考えより数百倍大きくなさいます。だから神様を信じている人だとしても、「これは本当なのでしょうか?」と確認してしまうこともあるし、大丈夫なのかしらと怖くなることがあります。
神様が使わして救いの働きをしてきた聖書の人物に対しても、当時の人たちは疑って聞き従わずに罪を犯し、それどころか死んでしまったことが記載されています。

モーセ自身も、たくさん祈ってくださったから神様が応えてくださったにもかかわらず、神様が「パロ王のところへいって『400年間奴隷生活をしていた私の民をみんな解放しなさい。彼らを導いて出ていく』と言いなさい」とおっしゃったときに、その時の状況からしてもあまりに信じられないようなことだったので、驚いて思わず「そんなことができるでしょうか?」と聞き返してしまいました。神様のおっしゃることが、モーセにとっては不可能なことのように思えたけれども、それでも神様の言葉に聞き従って行いました。
そうして紅海を裂く奇跡を起こしながらも、イスラエルの民たちをエジプトから導いたという話は、キリスト教ではない人でもみんな知っている有名なお話。やはり神様の考えは人間の考えとは異なります。その言葉を信じて行うからこそ、御心がなされていきます。

また、そのモーセの話を聞いて、パロ王が「神様が仰ったの!?じゃあわかった!」なんていうはずがありません。パロ王はやはりイスラエル民族を手放そうとはしませんでした。しかし、神様が10の災いを下したら、結局は手放すしかない状況となっていきました。

ギデオンも神様に切に祈っていたからこそ、神様がその祈りに答えてくださいました。でも信じることができなくて、ギデオンは神様を試しました。「夜、羊の毛を外に置いておきますから、羊の毛にだけ露がおりて、周りの地は乾いていたら、神様が私を通してイスラエルを救うのだと分かります」と祈って外に足しておいたら、本当に決めておいたところに羊の毛だけ露が降りて、ほかの地には降りていませんでした。こんなにわかりやすく神様が応えてくださったのに、やっぱり信じきれなくて、もう一度神様に言いました。「わたしをお怒りにならないように願います。わたしにもう一度だけ言わせてください。どうぞ、もう一度だけ羊の毛をもってためさせてください。どうぞ、羊の毛だけをかわかして、地にはことごとく露があるようにしてください」。そして、神様はギデオンが言ったそのようにされて、ギデオンに神様が働かれて御心をなそうとしていることをお示しになりました。わずか300人を兵士としてお選びになり、数万人の軍と戦って勝つということが、普通の考えを持つ人間に信じることができるでしょうか。

エリヤにも神様は「これから下りていって、あのアハブ王と、全民族のバアルとアシラに仕えるものたちと戦いなさい。代表としてバアルの預言者450人とアシラの預言者400人、850人とあなた一人で戦いなさい」とおっしゃいました。1対850人ですよ。普通の考えでは「勝てるだろうか(いや、ムリムリムリムリ!)」としか考えられませんよね。このように、神さまはその時代に遣わした使命者たちに、想像もできないような、ものすごい神様の御心を話されてきました。過去もそうだから、今も私たちにそのように話されます。

神様の言葉に、私は信じられるのかどうか、行えるのかどうか。

こんな山奥に人が来るなんて

神様は人間が理解できないことを話されます。人間の考えと判断では、また現実の状況では理解できないことをおっしゃっても、神様のおっしゃったことを行って初めて、神様の御心がなされて、行った人が栄えていくようになります。

牧師先生は幼い頃、ご自身の故郷が嫌いで嫌いでたまりませんでした。でもその牧師先生に、「これからここに数万人の人が伝説のように来る」と感動を与えて、牧師先生に聖書の勉強を促されました。山奥も山奥、当時は外部の人は1年で10人も来ないような場所であるにもかかわらず、「数万人の人が来る」だなんて、到底想像もできなかったけれど、イエス様がくださる感動だったからこそ、信じないわけにいかない、という思いで疑いながらも信じたとおっしゃっていました。

しかし今、見なさい。信じられなかったイエス様の言葉がなされたのをみんな見た。すぐには理解できなくても、信じられなくても、信じて従ったからたちまちなされた。
現在もこのように想像できないことをおっしゃる。信じて行えばだんだんとなされる。行わなければ主人にならないので、なされない。

20250818主日の御言葉

あんなにも大変な思いをして建てたにもかかわらず、野心作が崩れてしまうのです。それも5回も。当時の映像を見ていても、日が照る暑い日も、雪が吹雪く寒い日も、構わず作業をしているのです。しかも大好きな作業だからするということではないから、思うとおりにならないことがずっと続くから、離れていく人もいたでしょう。
崩れるから、牧師先生に「御心ではないのではないでしょうか」「こんなことに時間と労力を使うならば、神様のみ言葉を伝えていくことに使った方が有益なんじゃないでしょうか」と進言したひともいたでしょう。また、何も言わずにフェードアウトしていく人も少なくなかったでしょう。それでも牧師先生は、神様からはっきりした感動を受けたからこそ、行うごとに構想を受けながら、崩れても心崩れることなく、最後まで行っていきました。

いまや、年間数万人が訪れるその場所に、私も今年、行きたい。

この世界は神様の世界だから、ちゃんとやれば、ちゃんとできる

人間同士だとしても、大きな人たち、経済の王たちや政治の王たち、スポーツで金メダルを取った人たちや天才や超人たちが話したら信じられません。しかし実際にやっているから、信じないわけにはいきません。

現実は小説よりも奇なりという言葉はそのとおりだなと思います。フィクションとして描かれている小説なんかよりも、現実の方がとんでもないことが起こるし、不思議なことが起こるし、ぜんぜん考えもしなかったような状況に陥ることもあります。

フィギュアスケートの羽生選手は冬季オリンピックで金メダルを獲った日本でも有名な選手だけれども、世界記録を3度自身で更新する絶対王者として世界中のファンを虜にしながらも、2017年11月に靭帯損傷、わずか練習期間1ヶ月でぶっつけ本番でオリンピックの舞台へいき、66年ぶりの2連覇金メダル!!そしてその金メダルが冬季五輪の通算1000個目ジャストの金メダルだったなんて!羽生選手もこの状況を「漫画の主人公にしても出来過ぎなぐらい」と話していましたが、この世界は神様の世界ですから、普通の人間が考えられないことでも、そのために切実に求め続けて、得ようともがきながら行い続けるならば、得られるように作られている世界です。

神様の御心を止めるな!

自分の考えと神様の考えは大きく違います。だから、自分の考えとまったく異なる状況になって、「え!?なんで!??」と思ってしまうのは人間としてしょうがない部分はあると思います。そこで「確認する」という意味で神様にいろいろと聞いてみるのは必要だし、あまりに常識から逸脱している!!と信じきれないときには「試す」というかたちをとることもあると思いますが、神様の御心を止めるような愚かな人になるのだけは避けてください。病気になっていくヨブを責めるような人たちにならないでください。自分の考えよりも遅いと感じて待ちきれなくて、サムエルが行うはずのことを代わりにやろうとしたサウル王のような人にはならないでください。

例え、本当かな?信じられないんだけど…と思うようなことになったとしても、確認したうえで、信じてみて、行ってみるならば、神様と共に宴会を囲む祝福された人になるはずだから。

以前、先生が見せてくださった模型、どうなったんだろうと思っていたけれども、それを目にする日が、私が生きているあいだにおとずれますように。私にできることはなんだろうか。

ぜんぜん関係無いけれど、20年以上前の話、ある有名な世界的な会社の部長さんが採用面接を依頼されていたときには「田舎出身の兄弟がいる人はだいたいいい人材が多い。自分が採用した人物は入社後、活躍してくれている」という話を聞いたときには、あながち間違えではないよなぁと思ったのは、私だけの考えです。

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