天気のしるし

white airliner

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
あっというまに金糸梅が咲く季節となりました。え!?もう一年経つの!??

GWはどう過ごされましたか??

GWが過ぎてもう2週間が経とうとしているんですけれども、思いだすとまたいつでも戻ってもう一度堪能したい!ってくらい楽しかったです。大好きな人たちとおいしいものを食べながら、いろんなものを見ながら、いろんなところに行きながら、いろんな話をしながら過ごす。なんて幸せなときなんだろう。限りある人生、そんな幸せな時間をできる限りたくさん過ごしていきたいです。
ということで、みなさん、なおこと仲良くしてくださいね^皿^

そんな幸せな時を過ごしていく中で、「あぁ、神様が働きかけてくださってるぅ!!」と感じる瞬間があればあるほど、その幸せは倍増します。
いいですか?全知全能の神様ですよ?どんなすごいことを起こしてくださるでしょうか。くふふ。

天気のしるし

地味だけれども、本当にコレは神様の働きだというしかないもののひとつが天気だと思います。だってそうでしょう?明日はこの予定があるから、明日は晴れに決まり!なんて私一人でできることじゃないし、そもそも人間に決めらることじゃありません!
全世界のどの地域でも、どれだけ人類たちが神様に雨を求めて祈ってきたでしょうか。

今年のGWに数人で旅に出かけたのですが、旅行前日に一人から「いよいよ明日からですねー」というメッセージとともに、「(その地域の)天気予報を送りますので参考にしてください」とガッツリ雨マークの付いた天気予報画像が送られてきました。
旅行に雨。これは祈らなければと思いました。
しかし結果、旅行中、雨は降ったんですけれども、私が持って行った折りたたみ傘を使ったのは帰宅する最終日だけでした。どういうことかって?私たちが寝ている間に雨が全部降りきってしまったり、びっくりするほどの風をもって雨を吹き飛ばしてくださったんです、神様が!!
いちおう雨予報なので、予定していた場所とは違うところに計画変更したこともありますが、最初から最後まで、本当に神様が私たちのために天気を操作してくださいました(表現あってるかしら?通じているかしら??)。私たちがホテルにあと10歩というところで大粒の雨がボツリボツリと落ち始めて、私たち全員がホテルの建物の中に入った途端、道路を挟んで向かい側の建物が白く濁るくらいにズゥアっと雨が降り続いて、見ていると傘をさしている人のその傘がたわみにたわんでいる姿も見ました。それをみんなで見ながら、「私たちって、愛されてるね~」と口々にしてました。

別日、私ともう一人と別行動して過ごしたのですが、ザーザー雨が降る中、「キャー」といいながらタクシーに乗り込み目的地へ。ある人にごちそうしてもらって、用事を済ませてからも車に乗せてもらって駅まで連れてきてもらったので、少し濡れたけれども傘はさしませんでした。
二人でホテルの最寄り駅まで来たときに、近いとはいえどホテルまで5分くらいは歩かなければいけないのでどう帰ろうかと思って地下鉄から出たらビュンビュンと吹く風が雨雲を使って雨を追いやってくださったみたいです、神様が!地下鉄乗る前のザーザー雨がウソのよう!「神様だねー!でもすごい風だねー」と言っていたら、その10秒後に無風になったときには本当に驚いた。
「神様がリアルタイムに私たちの反応を見ていらっしゃる…!??」

そしてそして。用事があるからと1日早く帰った人の飛行機が無事に飛ぶかみんなで案じていたんだけれども、「空港に無事ついてチェックインまで完了しました!私が乗る飛行機以外全部欠航になっています…」とその子からメッセージが!??添えられた写真には、2枚の電光掲示板が映っていて、15の便すべてが「欠航」と赤字で記されているにもかかわらず、その子が乗る便のみ「手続中」と白く光っているのです。こんなあからさまな特別扱いって、ある??と突っ込みたくなりました。

なおこのヤワなハートがしびれる、愛のしるしを感じたときでした。

イエス様の時代にも

さてさて、どの時代も神様が働きかけてくださったのですが、もちろん2000年前のイエス様の時代にも神様は万物自然をとおして働きかけてくださいました。

それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。

マタイによる福音書8章23-27節

神様がイエスさまをとおして2000年前の新約歴史をなしているさなかでの出来事です。イエス様が神様から受けた御言葉を伝えていく中で弟子ができて、イエス様を信じて従いついていくようになったときのことです。
あるときに弟子たちがイエス様と船に乗っているときに、暴風にあいました。あまりの暴風にイエス様に助けを求めようとしたらイエス様は眠ってらっしゃいました。朝から晩まで神様の働きをなさって、弟子たちのためにも頑張っているんだもん。イエス様だってお疲れになりますよね。
イエス様を起こして「助けてくださいーー!!」とお願いしたら、イエス様が暴風を治められたというお話です。

神様を信じてついていくならば、いつでも平たんな道を平安に歩いていくことができるわけではなく、むしろ神様の崇高な御心をなしていくわけなので、ときに雨風吹雪、艱難迫害が押し寄せるわけです。そんな暴風にあって「信じてついていくのにこんなに大変なんて、もしかして…!?」とイエス様に対する信仰が揺れてしまう瞬間もあったかもしれません。イエス様について正しく知らないときに、特に疑う心、信じ切れない心が生じるのかもしれません。弟子たちはイエス様に従う中でたくさんの場面、状況、御働きを見ましたが、まだ全知全能の神様がイエス様という肉体を着てこられて、その方とともにおこなわれるということを正しく知らなかった、わからなかった部分が多少なりともあったのではないでしょうか。
イエス様は神様の体になって、万物を治め、死にそうになった人を救う御力を持っている方だとはっきり知らなかったということです。そして神様と一体になれなかったことで、暴風にあったときに弟子たちはおそれ、怖がりました。

聖書はおとぎ話でしょうか?現実ではありえないことばかりが書かれている?
現実は小説よりも奇なりという言葉どおり、現実にこそ人間の頭では考えつかないような奇跡が起こるものです。

もう、これは実感しないとわかんないよね

明日、健康診断です。最後の悪あがきに、普段運動なんてしないくせに昨日走りに行こうとしました。運動着に着替えて外に出ようとしたところ、私が帰宅したときにはやんでいた雨が再び降り始めており、「雨だからしょうがないよね」と走りに行くのを諦めました。今日もそのパターンかな?と思いながらも着替えて外に出ようとしたらいい感じに降っていなくて、30分ほど歩きながら走りながら家の周りをぐるっと回ってきました。家に到着してお風呂に行こうとしたら、窓の外から雨が窓を叩く音が聞こえるくらい雨が強く降っていました。

神様、本当に私のことが好きなんですね。
明日、少しでも体重が減っていますように。

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