雨風吹雪艱難、季節のようにくるけれど
こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
先日の健康診断、0.5キロ体重が減っていましたが、身長が1㎝も縮んでいました。昨年同様バレない程度に背伸びしたのに、なぜ?
ヨブ記
人間ですもの。どんな大金持ちでも、どんな成功しているといわれている人でも、どんな美しい人でも、悩みはあるし、苦しいこともあるし、泣きたいときもあるし、恨みたい気持ちになるときもあるし、不平不満が出てしまうときもあるし、諦めてしまいたくなるときもありますよね。人間ですもの。どんな人も。
もちろん聖書に記録されているような偉大な人物も、あの神様に愛された人もいろんな雨風吹雪に打たれ、試練や壁に何度も何度もぶち当たったことだと思います。
そのひとり、ヨブについて今日はブログに書こうと思います。
忍耐の人、ヨブ
神様がサタンにヨブのことを自慢しました。神様が自慢しちゃうくらいの人間って!!ヨブってすごくないですか?「このウヅの地に、ヨブほどの人がいない」と神様が自慢しました。だからサタンが「神様が祝福してあげるからヨブがよくやるんです」といって、神様の前でヨブのことをけなしました。サタンは今も昔もこのように人を悪く言います。
そこで神様はサタンに「わかった」とおっしゃって「ヨブの命にだけは手をつけてはいけない」という条件のもとに、それ以外の物質と名誉を打つようにしました。そしてヨブは一瞬の間に多くの財産を失いました。家畜も家族も死に、自分の身体にでき物もできて寝ることもできない苦痛にあいました。
神様を熱心に愛して、罪なんてないヨブがとんでもない状況に陥れられました。おのれサタン。
それを見て妻は「神様を恨んで死になさい」とも言ったし、ヨブの友達は「お前に罪があるからこんな苦痛が立て続けに起こるのだろう。悔い改めろ」と言ってきました。まさか天上の会議のようなものでの神様とサタンとのやり取りを聞くことなんてできませんから、罪なんて犯したことがないはずのヨブはどうしてこんな目にあうのか見当もつかなかったことでしょう。
こういうとき、神様がこっそり「ヨブ、実はサタンがこんなことを言ってくるから、サタンにいったん渡してるんだ。でも、ヨブのことを愛しているから、サタンにヨブのすごさを見せつけたあとに、たっぷりの祝福をするつもりなんだ!」なんて言ってくれるわけありません。神様がサタンにヨブを自慢した分、ヨブがその信仰の固さをお手本として見せてあげないといけない期間だったから教えてあげることができませんでした。
その期間はヨブがそうするしかありませんでした。
どんな状況のなかでも、ヨブは「くださる方も神様、持って行かれる方も神様だ」と思って、苦難を一日一日過ごしていきました。恨むような憎むような心も生じました。なぜ悪人を早くさばいてくれないのかと神様にいいました。すると神様が現れて、お前が代わりに裁くものなのかと叱りました。そのときからヨブは口を慎みました。神様は「あなたはますらおのように信仰をもって悪人を踏みつけるだけで、恨むことはするな」とおっしゃいました。
どんな艱難が来たとしても、神様を愛することだけに集中して、神様がくださる御言葉にこそ集中して、自分がいかに神様を愛しているのかを神様にアピールし続けていきましょう。悪口や愚痴を吐いてしまうのではなく、「神様ってひどい!」なんて言わず。もしも自分のまわりで、神様を愛している人なのにどうしてこんなひどい目にあっているんだろうという人を見かけたとしても、ヨブの友達のようにサタンの主管を受けてその人を悪く言ってもいけません。それはサタンの思うツボです。あとで痛い目にあいます。
神様はヨブを自慢して褒めたのに、もしヨブが艱難によって信仰を捨ててしまうとしたら、それこそ神様の立場がなくて、サタンがあざ笑う種になったでしょう。でもヨブは、ただますらおのように神様のメンツを立てる人となりました。
御言葉を教えてくださった牧師先生は聖書を読むと胸がドキドキするといいました。一人がそれほどに重要なんだな、完璧なひとりが必要なんだと悟ったそうです。
アブラハム一人が絶対的な信仰をまもったので、その信仰の祖先となりました。牧師先生もそのようにしようと10代のときに決心したそうです。
一人が大きい
自分が自分の人生の主人公です。それだけではなく、神様が今この時に必要だから、自分が生まれるようにさせて、神様の御言葉を聞いて神様の御心を知るようにとしてくださいました。
だからどんな艱難のなかでも、しののめのように見え、月のように美しく、太陽のように輝き、旗を立てた軍勢のような私たちとなって、愛の道理をつくして、信仰を守って、神様の前で天地万物をつくった目的を確認する人たちになるべきじゃないですか。
神様の自尊心を見たして差し上げましょう。
牧師先生が今までつくってきたもの、「これが神様の創られたものか!」と思うしかないようなものをたくさん見てきたでしょう?そのように誰が見ても「神様がつくられたものだ」という人になっていきましょう。
そのときそのときにふさわしくしてくださいます。神様はときにふさわしく働きかけてくださいました。朝昼夜とご飯を食べるように、まとめてご飯を食べないように。
なんでだろう
自分は悪いことをしていないはずなのに、不運に逢ってしまうことありますよね。むしろ良いことをしたと思っていたのに勘違いされて悪く思われてしまうこともあります。正しいことをしたと言い切れる場合だとしても、誰かが陥れてくるときもあります。
そういうときに、なんでだろうと思うと気持ちが疲れてきます。なんで神様を信じているのに、こんな状況になるんだろう。なんで神様を愛している私がこんな目にあわないといけないんだろう。神様の前で何か悪いこと、したんだ、私。神様は神様なのになんでわかってくれないの?なんで?なんで?
そうドツボにはまったらそれこそサタンの思うツボです。
あなたがキラキラしているから、キラキラしていない側がうらやましがって足を引っ張ってくるんです。あなたが神様から愛されてたくさんの祝福をうけているから、羨ましい想いが卑屈になってしまっている側が意地悪してくるだけです。相手がもっともらしいことを言っていたとしても、あなたを苦しめているならばそんなことを聞かなくていいです。そういうときこそただ御言葉に耳を傾けていきましょう。いったん祈って神様の前ではずかしくない自分なら、気にせず無視してGOです。
大丈夫。あなたは神様が愛していらっしゃいます。今、状況が悪いとしても最後まで行けば必ず神様が一番の祝福を与えてくださいます。
それを信じることが信仰なのかも。