「仰げただ主を」の曲を思い出しながら~目の前の真っ暗闇を、神様が光で照らしてくださる

こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。
教会ではいろんな賛美があります。
あまり音楽には明るくないほうなので、ほかの教会メンバーよりも賛美レパートリーは少ない方なのですが、それでもお気に入りの賛美はたくさんあります。

仰げ~た~だぁぁーーーー主をーーーーー

神様の愛を慕うもの
神様の平和望むもの
あなたの創り主があなたをどれほど愛されるでしょう
神様をほめたたえるもの
神様に似て正しいもの
あなたの創り主があなたを恋人とされるでしょう

主は愛の瞳で いつもあなたを見守り
慈しみ深い耳を傾けられる
暗闇に光を投げかけ 小さなうめきに応える主
どんな道を行くとも主を愛し 仰げただ主を

ふとしたときにもけっこう賛美していたはずなんですけれども、改めて歌詞を思い出していたら、けっこう忘れていました。
歌詞を思い出させてくれたメンバーに感謝です☆

この賛美が何で好きなのかって、目の前が真っ暗感ハンパないときにも必ず神様が助けてくれるよ的な絶対なる信頼感を感じられるからでしょうか。

針の先であけた穴からだとしても、その穴から入る光が闇を包む

その週の御言葉はイザヤ書の60章を本文として伝えられたんですけれども、先月の説教の中でこんな内容がありました。

この世のすべてが迫害し、この世のすべてが「違う」と言っても、神様が下さった栄光、光はなくなることがありません。もっと光り輝きます。この世が暗黒、暗闇です。
みんな、(コロナ禍の影響で教会に集まるのではなく)部屋で礼拝しているでしょう。その部屋が完全に真っ暗だと考えてください。カーテンも締めて、完全に真っ暗闇。でも、そこに針一つの穴を開けます。そうしたら、そこからどれほどものすごい光が入ってくるか分かりますか。その瞬間、すべてが見えます。それが光です。一つの、その針一本の光でも、暗闇をすべて覆うことができます。
今は、暗い時ではなく、その光が私たちに来ました。「神様の御言葉を信じて、立ち上がって光を放ちなさい。信じて立ち上がって光を放ちなさい。信仰通りになるだろう。信じて行いなさい。行なった通りになるだろう。」

2021年2月21日主日礼拝説教

その前日、遠方に住むメンバーと電話で話していたのですが、まさにそのような内容を話していたんですよね。
困ったときに、必ず助けてくださる神様に心から感謝します。

それどころか光を得なくても!??

最近、御言葉の中で「聖書を読むこと」を薦められることが多く、今読んだら楽しそう、と思い始めていたところ、別の教会に通う先輩がこのようなメッセージを送ってきました。

「今日読んだところ。

あなたがたのうち主を恐れ、
そのしもべの声に聞き従い、
暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよるものはだれか。
イザヤ書50章10節

アーメン!」

もう、光で照らしてくださるから神様が好き、じゃなくて、光を得なくても神様を…(以下略)
次元が高すぎる!
そのレベルに私が到達するのはいつのことなのか!
乞うご期待!

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