祈りのチカラ、祈りの味
こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。
最近感じた「祈り」について、書きたいと思います。
祈りのチカラ
祈り、と聞いてみなさんはどう思いますか?
祈り:祈りとは、宗教によって意味が異なるが 世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。 自分の中の神と繋がること。 神など神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと。 神の定理は各宗教による。
Wikipediaより
たとえば仕事や生活の中で、強く熱く念じたときに、願ったとおりに叶うときがありますよね。私の場合はその願う先は神様です。全知全能なる主、神様です。神様に強く、熱く、切実に祈ります。それで叶ったこと、願った以上に理想的に叶ったこと、祈ったこととは全く別な方向に行ってしまったのに結果的に願いが叶ったことがあります。
そして、ひとりで祈っても十二分に神様は聞いてくださるのですが、複数で祈るならばさらに聞いてくださいます。
また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。
マタイ18:19-20
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
今回はそんなお話をしたいと思います。
兄弟姉妹と熱く祈る
期間を決めて、教会に通う姉妹と一緒に祈ることがよくあります。一人で祈れないときにもお願いして一緒に祈ってもらうことがありますし、一人で祈ってもなかなか聞かれなくて、少しでも祈りの力を強くさせたくて一緒に祈ってもらうこともあります。こちらからお願いするパターンもあれば、促されるパターンもあります。
ある教会の先輩がいらっしゃるのですが、その方とはたまにかつ定期的に祈るような関係でした。一緒に祈る時にはお互いのことを祈るんですが、ある時から仕事の具体的なことについて祈ることが多くなりました。そして彼女の仕事関係の「決戦の日」を教えてもらってからは、個人的に祈る時にもその先輩のために祈るようになりました。内容が大きなものだったので、「決戦の日」当日朝に複数名に呼び掛けて祈ったところ、祈りがきかれたことをYahoo!ニュースで知りました。
そのニュースを聞いたときには本当に嬉しかったのですが、そのときに感じたのがその時期に主日説教本文として挙げられていた聖句でした。
15:8 また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。
ルカによる福音書
15:9 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。
その先輩が数年間探しながら求め続けながら戦ってきた後での勝利をつかむその瞬間を共に感じることができたのが嬉しいし、私たちの祈りを聞いてくださった神様の愛が嬉しいし、人の成功を「愛する姉妹の勝利」として自分のことのように嬉しく思っている自分に気づいて嬉しくなりました。
分け与える喜び
10年以上前の話。私は30人ほどの規模の小さい教会に所属していました。夏休みや春休みになるといろんなイベントを教会で楽しんでいたのですが、たまに違う教会の牧師さんを呼んで御言葉を伝えていただく機会があり、毎回どんな方がいらっしゃるのか楽しみにしていました。
いらっしゃるゲストが決まったら、そのゲストに親しい人に好きな食べ物・苦手なものを聞いて、その方が喜ぶような迎え方をしたいとホスト側として準備していました。といっても、伝えてくださる時にお出しするお茶だったり、お菓子だったりちょっとしたものなんですけれどね。
普段ははちみつの飴だったり、手作り焼き菓子、アールグレイの紅茶を用意する程度なんですが、ある牧師さんがいらっしゃるときに「お皿いっぱいの果物」を準備することがありました。しかも、梨やブドウなど、小さめに切って房を小分けにしてお皿に並べました。みんなが集まってそのお皿をお出ししたときに、その牧師さんはわぁっ!と驚き喜んだ顔をして、わきにあるつまようじを刺しながらその場にいるみんなに分け始めました。
準備するときには手間はありましたが、その果物をみんなで食べながら始まったことで和気あいあいと楽しく時間が流れて最後まで過ごすことができ、こんな迎え方もあるんだなと思ったことがありました。
プレゼントをもらうことも嬉しいけれども、渡すことも喜びを感じますし、共有することってもっと嬉しいんですね。
祈りの味
神様は私たちを愛してくださって、私たちが幸せに生きられるようにと誰よりも願ってくださっています。私たちに必要なものを求めるようにしてくださって、与えられるに耐えられるように成長させてくださって、与えてくださいます。ときに既に与えられているにもかかわらず、それに気が付くことができず、外を探し続けるときもあります。そんなときには「すでに与えたから、あなたの主管圏の中で捜しなさい。いるところ、あるところで捜しなさい。」と説教で教えてくださいます。
ご利益信仰になってはいけないんですけれども、全知全能なる神様は私たちに与えたいものを倉庫にあふれんばかりに用意してくださっています。ただでくれるものももちろんありますが、とっておきのものはただで与えるとその価値がわからずうまく使いこなすことができないので求めるようにさせてからくださいます。とっておき度が高くなるとかなり求めて、しかもそれを受け取って使いこなせるようになってやっと与えてくださいます。そういうときには、早くちょーだーーーい!と叫びたくなるときもあります。
「祈りは仕事だ」という詩を牧師先生が作られましたが、仕事をすればなされるように、ふさわしい祈り求めをしたときにそれが成されるように天が働きかけてくださいます。またその詩の中で祈りは対話をすることだから、天との対話の中で求めて、途中であきらめることなく最後まで祈りなさいとおっしゃいます。時に奇跡も起こしてくださる全知全能神様ですから。
祈り、という愛する神様との対話をどのようにしていくのか、それによって生活が変わっていくことを感じることが、祈りの味だと思っています。
美味しい祈りの味をかみしめていきたいと心から思う、なおこでした。
みなさんの願うことが、天の御心の中で叶いますように。
たくさん祈らなきゃー!