誰でも後悔しない人生を生きたいと思うけれど、じゃあどう生きるべきなのか?

こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。


「仕事を一生懸命やったかどうか、いつ見れば分かるのか。」


こんな質問をされたら、みなさんはどう答えますか?

日ごろ職場で働いていて、迫りくる締切を守るために気合入れて取り組んだり、なにかイベントを成功させるために気を張って働いたりする日もあれば、今日は余裕があるな~とゆったりと仕事を片付けたり、頂き物のお菓子を課の人とみんなで食べたりする日もあります。ステキな職場を与えてくださっている神様に本当に感謝します。
まじめに仕事を取り組んでいるつもりですが、無難な仕事になっていないかな、と心配になったりすることもあります。
あ、脱線しました。↑の質問に、どのように御言葉で話されるんだろうと思ったら、以下の答えが続きました。

「夜に見たら分かる。夕方に見れば分かる。」
うちの母と畑仕事をした時も、明け方から一生懸命やったならば、日が暮れる前に終わって帰るのです。しかし、そうじゃないといつも残るのです。それで、それをやろうとして灯りをつけてやった時もあります。

20200915 朝の御言葉より


アモリ人と戦うヨシュアの話ではないけれど、気持ち次第で仕事の片付き方が違うんですよね。だからこそ仕事をしていくときにどんな気持ちで取り組むかという自分のコントロールが必要なワケなんですけれども。たまにゆるりとした日も必要ですけれど、やっぱりすっきりと仕事が片付いたときが一番気持ちがいいです。

しかし、今日のブログを書こうと思ったきっかけはそのあとに続く内容です。

人生を生きることも終わった時に、いそしんで人生を生きて来たのかどうか分かるのです。今、過程の中では分かりません。日が暮れるころになったら分かります。人生の日が暮れるころになると、私が遊んだかどうか。それをやり直すことはできません。人生を二度生きることはできませんから。だから、いそしんでやらなければなりません。

20200915 朝の御言葉より


そうなんですよ。時間は一方方向にしか進んでくれなくて、悲しいかな、ほんの数秒ですら巻き戻しがきかないんです。小さいころ若いころを振り返って、もっとこうしておけばと思うようなことはごまんとありますが、戻ることなんてできないんだから、今、ちゃんとやろうと思います。


~バー


2020年が始まったわ!と思っていたらコロナ禍が始まり、この期間が過ぎたら〇〇したい!と思っていたらアッというお間に9月も終わりに差し掛かっていますYO!September、October、November、December。~berの始まりである9月が始まると、一気に年末に加速度がついて進んでいくのを感じます。年齢を重ねるほどにその速度を恐ろしいほどに感じます。しつこくいうと、あっちゅーまです。コロナが落ち着いたら〇〇しよう、と思っていたら、結局何にもできなく終わります。だから、今だからできることって何だろうと思って生活するようにしています。そして、コロナが落ち着いたらやりたいことリストを作って一つ一つ行うようにします。人って隣の芝は青く見えるじゃないけれども、自分ができない、と思っているときほど「もし今がコロナ禍じゃなかったら、こんなこともあんなこともできるのに」っていつもよりもいろいろ思い浮かぶんですよ。逆にコロナが落ち着いた後に「コロナ禍のときにコレやっておけばよかった~今はもう無理だよ~~」っていうのが絶対思い浮かぶと思うんですよね。(勝手ダナー)

ひとまず、人生の日が暮れるときに大きな後悔をしてしまわないような生活を一日一日重ねていきたいと思います。
今週の礼拝の後の教会広告で、健康診断について出ていました。今年はコロナの影響もあり、全体の受診率が3割減らしいです。充実した人生を送るためにも、健康診断は年に1回、必ず行きましょう。これを行うだけでも御言葉を守ったことになりますから、天が健康の祝福を与えてくださいます!

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