愛ってなんだろう
初めまして!の方も
お久しぶりです!の方も
いらっしゃるかもしれませんね。
東京主信仰教会のサランです。
さて、私の名前でもある「サラン」は韓国語で「愛」という意味ですが、
愛ってなんだろう。
愛って、これ!って目に見えないんですよね。
聖書には神様の愛がたくさん詰まっています。
でも、それは、学んだら分かるというものではないのです。
身をもって自分自身が感じないと分かりません。
感覚 、なのです。
私は、神様の愛に極めて鈍感な人でした。
ある出会いによって教会に通い始め、聖書を学び始めたけれども、神様が自分を愛しているって感覚が全然分からない!
愛しているからあなたを創造したと言われても、生きることが嫌なのに、なんで生きていかなきゃいけないの?
なんで私を創造したの?
創造なんてしてくれなきゃよかったのに。
なんて思う始末。。
そんな私を見て、なんで教会に通っているの?と言う方もいましたが、その理由はまた今度、書けるときに書きたいと思います。
愛。愛は何から始まるでしょうか。
それは、「関心」からです。
1組の○○君が、◇◇のこと好きらしいよ?って言われてから、何か気になり始めた。今までなんとも思ってなかったのに…
なんて経験したことありませんか?
「関心」。特に心を引かれ、注意を向けること。
私が神様の愛を分からなかった理由のひとつ。
それは、神様に全く関心がなく生きてきたことでした。
宗教は怖いものだと教えられてきたから、宗教に対する抵抗感も手伝って、神様に対して関心を持つどころか、抵抗感を持っていたんです。
「愛は関心だ」。
そう教えていただいてから、神様に関心を持つようにしようと、神様を考えるようになりました。
神様は、今どこにいるのだろう?
何を考えていらっしゃるのだろう?
どんな心情で御言葉を伝えてくださっているのだろう?
考えの方向を、神様に向けてみたのです。
そうしたところ、抵抗感バリバリだった私が、神様を心から信じるようになり、神様の愛を感じられるようになりました。
ハレルヤ。
愛の感覚を呼び覚ますために、最初は『関心を持つこと』から初めてみてくださいね。
愛の芽がちょこんッと出たら、今度は育てること。
どのように育てていけばいいのか。また次の機会に、書いていきたいなと思います。
それでは。
サラン