美意識のお目覚め

こんにちは。社会人のまりあです。
私は小さい頃から教会に通わせてもらい、
「人間、心が大事。内面を磨こう」
ということを幾度となく考えて生きてきました。
しかしその一方で、
外見に関することにはあまり関心を抱かず、
「まぁ清潔感があればいいか」ぐらいの認識で、
現在に至っております。
私だけでしょうか。共感してくださる人、いますでしょうか。
とにかく、私は、
おそらく同世代に比べて美意識の発達が遅いのです。
美しくありたい、綺麗でありたい、そういう願望はちゃんとあるのですが、
何故か「私、ありのままで素敵やん」という謎の自己肯定感に委ねてしまって、
外出先のお手洗いで、ふと鏡に映った自分を見ては、後悔するわけなんですね。
ええ、良い大人なのに、少し勿体無い。
そういう状態が、長らく続いておりました。
しかし、ついに、ついにですよ。
この夏、私の美意識がお目覚めになりました。
ハレルヤ。
27の夏、ついに美しさへの眼が開かれたのです。
嗚呼、神様に感謝。
何がきっかけだったのか。
ずばり、転職です。
私は去る6月に転職活動をはじめ、
7月に内定を頂いたのですが、
9月の入社を控えた真夏の8月、
脳内シュミレーションを繰り広げた結果、
「新卒なら少々見た目がウブでも許されるだろうけども、中途入社は流石に許されなくない?さすがに、綺麗にしていかないと、社会人としての第一印象、よろしくなくない?」
と、気づいてしまい...
「やだ。このままじゃ嫌だ。私も綺麗になりたい。さりげなく美しさを身にまとう、上品なお姉さんになりたい」
と、こう思ったわけですね。
そこで、ええ。祈りましたよ。
「聖霊様、お願いだから美を分けてください」と。
また、よくよく考えたら、
私が美しいと思うものって、本当に「美しい」の?
とこういう問いにぶつかったんです。
美の基準って人それぞれだし、
成長していく上で変わっていくものでもあると思うんです。
(小学生の頃に本気で可愛いと思っていたワンピースでも、中学生になると恥ずかしくて着れやしないわと思うように)
だから、私の美の基準も疑わしくて。
ならば、変わることのない美を、絶対的な美を求めようじゃないかと。
聖霊様、「よろしくお願いします!!」と、
思い出すたびに祈りました。
すると、どうでしょう。
以前は選びもしなかったお洋服を手に取っていたり、
急に肌の粗が気になって、なぜその現象が起きているのか知りたくなったり。
(誰かに追い立てられるように肌診断に行ってまいりました。)
「行なった分だけ祝福を得る」という御言葉を、
「スキンケアを頑張った分だけ肌が綺麗になるはずだ」と解いたり。
以前なら、御言葉と自分の外見磨きを結びつけることはまずなかったのに、
今や、さりげなく、神様の御言葉をそういう面からも楽しく受け取れています。
そして、大事な、結果といたしましては...
かなり、美しく仕上がりはじめております。(自画自賛)
過去の私に比べたら、の話ですが。
鏡をみて、後悔しないぐらいには、美しさを身に纏えているかな?
そう感じられているので、美を分けてくださった聖霊様に感謝です。
それにしても、御言葉ってすごいですよね。
ひとつの御言葉で、自分の色んなことに落とし込んで解釈できる。
時によって、刺さる言葉もちがう。
けれど、それが自分の血肉となって、
行動となって、自分を形作っていく。
ビバ、信仰生活、ビバ、美意識成長ライフ。
ということで、引き続き、神様が与えてくださった美を、育てていきます。
※画像は生成AIを使って作成したものです。
