ウタノチカラ
こんにちは
東京主信仰教会のなおこです
テレビをみなくなって久しいですが、NHK紅白歌合戦の出場者の発表を見ると、「年末だなぁ」と焦る自分がおります
賛美
賛美:ほめたたえること
goo辞書
讃美歌:キリスト教会で、神を賛美し、信仰を励ます歌。聖歌。
私は土曜日も仕事が入ることが多いので、土曜日に練習することの多い聖歌隊には入ろうとはしていませんでしたが、そういう私でも讃美歌、賛美すること、好きです。改めて単語を調べたときも「信仰を励ます」っていう表現で出てきて、確かになぁって思いました。
人間ですから、気持ちが上がったり下がったりすることもあるじゃないですか。でも、賛美をささげていると(歌っていると)力がわいて前向きになれるときも多いです。NO MUSIC NO LIFE.
花婿きまさば
1 花婿来まさば ともしびの 備えはいかにや 輝くや
『花婿きまさば』マタイによる福音書 25:6
その夜われらは ともしび取りて いで得るや
いざ火を手にして 主キリスト迎えよ
2 主を迎うる声 響くとき あわてふためかず いで得るや
その夜われらは ともしび取りて いで得るや
いざ火を手にして 主キリスト迎えよ
3 油の備えを 怠りて 買い整えずば 入るを得じ
その夜われらは ともしび取りて いで得るや
いざ火を手にして 主キリスト迎えよ
4 その時栄えの 集いにて 高くハレルヤを 歌わばや
その夜われらは ともしび取りて いで得るや
いざ火を手にして 主キリスト迎えよ
あれはまだ、なおこが学生だった頃。教会に通うようになって初めてのクリスマスを迎えようとした時でした。合唱に一緒に出ようと誘ってもらえたということもあり、練習にも参加させてもらいました。クリスマスの出し物なので、何曲かあったと思うんですけれども、なかでも私が気に入ったのが『花婿きまさば』という曲でした。
当時、他の教会メンバーで作曲や編曲がうまい方がいるらしく、その『花婿きまさば』もエレクトリカルパレード調に編曲されたもので、クリスマスにとってもぴったりな曲調でした。歌うとウキウキするような。いつかその編曲者の方が演奏している隣りで歌ってみたいなと思っています。
乗り越える力
さて、クリスマスも終わり、練習とかでも集まらなくなり、元の日常に戻ったわけですが、そういう時に疎外感をいだくときがありました。疎外感っていうほどじゃないかもしれないけれども、もともと友だちに教会に誘われたわけじゃなかったし、特殊な出会い方をしたから、普段教会メンバーとの接点って、あんまりなかったんですよね、私。同じ教会のほかのメンバーは、同じ学校に同じ教会のメンバーがいて、普段から一緒に授業受けたり、ランチしたり、生活圏も同じだからすごく仲よさそうなのに、少し入れていない自分を感じていたときがありました。
それを感じると、接点は礼拝のときだけになっていって、礼拝の前後でみんなが話している「神様が自分に働きかけてくださった話」にも自分は入っていないわけで、なんか、どんどん、「なんかなー」って感じがしてきて、それが次第に、「教会のメンバーといても、あんまり楽しくないなー」と思うようになりました。
それでも、神様が自分に働きかけてくださっているのはひしひしと感じるし、御言葉はやっぱり正しいし、自分勝手に教会に通わなくなるのも、神様に申し訳ない気持ちがするから、どうしたらいいのかなーとぼんやり考えるようになりました。つまんないなかにいるのも苦痛だし、どうにかこれを乗り越えられないかなーって。
神様が働きかけやすい足台を自分のなかにつくること
もちろん神様は地球上に生きる人間すべてを愛してるから、等しく太陽の光を与え、雨も与え、苦しいときもあれば、楽しくなるようなシチュエーションもくださいます。でも、神様も「神様」ですから、愛してくれる人にたいしては特別な感情を持たれるし、頑張っている人には力を貸してあげたいって思うでしょ。いつもムーーー!ってしている人には快くいいものを与えたいとは思えないし、やる気のない人にたいしてムダになるとわかっている助けはしたいと思えないでしょ。「人間」と同じです。「人間」は「神」に似せて創られたんですから。
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
創世記1章26節~27
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
だから、神様が特別に働きかけてくださって、今私が悩んでいること、ぐるぐるしているところから抜け出せないかな、詰まっているものがとおる感じにならないかなと思うようになりました。そのために、毎日賛美を捧げて、神様が自分に働きかけやすくするのはどうだろうと思うようになりました。
何を歌う?となったときに、迷うことなくこの『花婿きまさば』を思い出しました。クリスマスにむけて毎日のように練習していましたから、4番まであるけれどもソラで歌うことができていました。
「神様、『花婿きまさば』を毎日賛美しますね。3年半、賛美し続けて、それでもこの教会が好きになれなかったら、この教会に通うのはやめようと思います。」
そう祈りながら、毎日賛美するようになりました。
ちなみになんで「3年半」なのかというと、受けたものが大きかったので、そのくらい長く賛美し続けないと神様に申し訳ないな、って思ったわけです。(詳しく聞きたい人は東京主信仰教会の問い合わせから「3年半の意味を知りたいです!」って送ってみてください)
変化する
けっこう長く賛美し続けましたよ笑。1年以上たっても、単発的な面白さはあっても、恒常的な楽しさというのは感じられなくて、いつもアウェイ感がありました。
もともと歌を歌うことがクセになっているわけではなかったので、きちんとフルで賛美できるときもあれば、寝る前に思いだして鼻歌で済ませたり、たぶん日付またいで「これ、昨日の分です!」ってお祈りして賛美したときもあったと思う。でも、それでも毎日、いちおう毎日、賛美し続けました。
2年たたないうちに、だんだんと、気がついたら、教会で過ごすことが楽しくなって、教会が楽しいとかそういうのとは別に、もう神様への大好き度がどんどん上がっていきました。それとともに、もともと歌うクセがあったわけではなかったので、気がついたら『花婿きまさば』を歌わなくなっていました。
ヒムネセヨ!
最近、うちの教会の社会人メンバーのなかで、自分をよく変化させるために、各自なにか一つ決めて毎日実践しよう!という呼びかけがありました。極端にハードルをあげたくないけれども、つまんない内容にもしたくないなーと思ったときに、『花婿きまさば』を思い出しました。
そうだ、賛美しよう!って。
曲は『花婿きまさば』ではないけれども、毎日賛美していこうと思います。神様が喜んでくださって、その行いが神様が働きかけてくださる足台となって、今より少し、素敵ななおこに変化しますように!