断☆捨☆離~ちょっぴりミニマリスト

brown tree and green leaf

こんにちは
東京主信仰教会のなおこです。
去年おととしと、命の危険を感じる暑さで、今年の夏はどんなになるのかとドキドキしていましたが、むしろ雨のせいか涼しい日が多くて、今日みたいに日差しの強い日が続くとうれしくて洗濯物を干したくなります。
ということで、カーテンを洗ってみました。

かたづけ

捨てることが苦手でごちゃっとした部屋に住んでいたような私ですが、約10年前に片付け本を読んでからは、本当に大切なものに囲まれて暮らしたいな、と思うようになりました。
部屋に人を招くと、「なおこさんの部屋って、物が少ないですね。イメージと違いました」といわれることが何度かありました。ちなみにどんなイメージなのかを聞いてみると、「ぬいぐるみがところ狭しと並んでいそうな部屋」とのことです。ふむふむ、そういうイメージなのか、なるほど。
実際私の部屋には、以前職場の同期からプレゼントされたクマのぬいぐるみ(なおこリクエスト)が「ぬいぐるみ」に該当するものかな?という程度です。ものがいっぱいあると掃除が面倒くさくなるので、基本的には「飾り物」は買いません。
お気に入りの掃除道具はパワフルな吸引力で人気の掃除機で、コンセントもなくワンアクションで掃除できるので、夜ドライヤーをかけた後に毎日部屋の掃除機をかけています。隣の部屋の人、ごめんなさい。

基本掃除が面倒くさいと思う人なので、掃除がしやすいようにとモノを増やさないようにと気をつけています。ただでさえ捨てることが苦手ななおこなので。
以前、世田谷から実家に引っ越しをするときには、ワンボックスカー1往復で引越し完了しました。そのくらいの荷物の量だと思ってください。
日本、特に東京はスペースにお金がかかるので、いらないものを置くスペースのために家賃を払うなんてもったいないじゃないですか。今、とても広くて快適な部屋に住んでいるため、うっかりモノが増えないようにと注意しています笑

松の木の剪定

今週の説教の中で、牧師先生が松の木を剪定したことを通して、必要のないものを切ることについて話してくださいました。

矛盾のせいで、全体の美しさ、雄大さ、神秘的なところも隠してしまう、遮ってしまう。みんな、直して行なうべきだ。何でもない枝だ。指くらいの枝。それが、雄大な柱を、幹を隠している。樹形を、木の形を遮ってしまう。指くらいのものでも、腕くらいのものでも、腕くらいのものでも切るべきものは切らなければならない。切った時に美しさ。それが美しさ、理想的なところを遮ってしまう。何でもないものを切りなさいと言うのに、そんなに難しいのか、切りなさい。御言葉の剣で、御言葉のかまで、のこぎりで。

20210922水曜礼拝説教より

片づけをせずに不要なものをそこに置いたままにすることによって、そこに埃やゴミがたまるようになり、変な虫が湧くようになるとしたら。その虫を通して私に精神的に、身体的に害を及ぼすようになったとしたら。
早く切らなきゃですよね。
水曜日の礼拝のときには、牧師先生がある松の剪定前と剪定後の比較画像を見せてくださいました。剪定前の松もかっこいいと思っていたのですが、剪定後の画像と比較されると、明らかに、目に見えて、全然違ーーーう!!こう、シュッと、スラッと、パシーーーッとかっこいいんですよ、松の姿が。
こんなにも変わるのかと目に見えてわからせてくださったので、では自分がどうかっこよくなるのか、何を切ろうか、と考えるようになりました。

何を切るのか

牧師先生が説教の中で以下の聖句を引用されていました。

兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。

コリント人への第1の手紙15章31節

この手紙を書いた使徒パウロは、「私は毎日死んでいる」といいました。死んでいる、というのは、自分の性格を殺し、キリストの中で合わないところは全部なくしていくのだ、と牧師先生が解釈してくださいました。
自分の悪い性格は、自分の本来の輝ける部分を隠し、覆い、弱らせてしまうから、その悪い性格を切ったときにはじめて、輝いていくし、あらわになっていくし、太く強く育っていくようになります。
日曜日に見せてくださった説教のきっかけとなった松の木も、近くを通ったことがあるはずだけれども、この松の木は作品だ!すばらしい!!なんて思わずに通っていましたからね。牧師先生が剪定をされて、形がはっきりとあらわになったその松の木は、本当にかっこよかったです。

一日は24時間

富める人も貧しい人も、悪い人も良い人も、等しく与えられているものが時間ですよね。この時間をどのように使うのかで大きく変わりますよね。
私がよく見るYouTube動画でも、経済的に成功するためには時間の使い方が大切という話をして史上最強ボクサーといわれている方の名言を挙げていました。

俺はハードに練習してるぜ。
お前らが休んでいるとき、俺は練習している。
お前らが寝ているとき、俺は練習している。
お前らが練習しているときは、当然俺も練習している。

フロイド・メイウェザー・ジュニアの名言より

よりよく人生を生きるためにも、自分自身の時間の使い方を見つめなおす必要があるな、と今週は思いました。この時間を切ってあれをした方が、確実にすばらしいなおこになる。うん。ハヤクヤレ。

心ときめくわくわくした人生

冒頭に話した片づけ本は、ときめくかどうかの基準で残すか否かを決めるというシンプルなものでした。そしてそれをもとに片づけを始めると、自分が心ときめくことが多くなり、好きなものに囲まれて暮らすことの幸せ感を感じることができるようになりました。

木を切るのは面白いのです。枝を切ること。しかし、みなさんの矛盾を切ることも、楽しく思わないと切れません。矛盾を切ることも楽しく思って切らなければなりません。切ったら、みなさんが現れます。

20210922水曜礼拝説教より

これを聞いたとき、「アーーーーメン!(そのとおりですの意)」と心の底から思いました。自分の人生が豊かになるよ、幸せになれるよ、といくら頭で理解したとしても、イヤイヤやりたくないんですよね。でもちょっと我慢してやってみて、味をしめたらこちらのもの!どんどんとそちらの方へ加速して進むことができます。

神様を愛すること、やってみてください。心ときめきながら毎日を過ごせます。
祈ること、やってみてください。神様の全知全能さを実感します。
この世に生まれて生きているこのときに、大きな幸福感に包まれながら過ごせますように。

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