主日の御言葉がこのように出来上がるのかということを実感した瞬間

こんにちは。
東京主信仰教会のなおこです。
今回は私が牧師先生と初めてお会いした時の話をしたいと思います。約20年前の出来事を思い出しながら記録しますので、多少美化されている部分は了承くださいまし。


2001年夏in Hawaii!!

あれはまだ私が学生の頃…(遠い目)。
バイブルスタディを聞くようになって、しばらくが経ち、春に初めて主日礼拝に参加するようになりました。「この夏、牧師先生主催の平和のスポーツ大会がハワイであるから、参加してみない?」と聞かれ、旅行好きの私は即申し込みしました。幼いころからのお年玉を、使わずに貯めてくれていた親に感謝です。おかげで学生時代の旅行費用に困ることはありませんでした。
初めて行ったハワイ。当時自分の所属教会以外に同じ御言葉を聞いている人がいるということを全く認識していなかったため、空港で集まった人数に少し驚きながら、ワクワクしていました。


ハワイ大会とは


1999年から牧師先生がはじめられた国際スポーツ平和大会がハワイでも開催されました。当時ハワイで開催にもかかわらず、遠いアジア、アメリカやヨーロッパなどの国々からも多く参加していました。世界が平和になるためにという趣旨の通り、スポーツにおいても相手を傷つけないように無理な荒いプレイが少なかったり、大会から軽食などが配られて、そこここで国際交流がなされていたりしました。牧師先生から果物が一人一人に手渡されるシーンもあったんですが、みんなにバナナが配られる中で「バナナかぁ、苦手なんだよな~」と思った私の心が天に伝わったのか、私の時にはリンゴが配られました。あれ??どきどき…。
夜には芸術舞台が何度か開催され、各国からの出し物を見ていて楽しかったです。なかでもハワイ大会とあって、ハワイチームの出し物のフラダンスはとても本格的でかっこよかったです。


さて、なおこinハワイ大会はというと

実は教会で馴染めていない時期でもあったため、ハワイ滞在期間中は一人でフラフラすることが多かったです。柵を超えなければいいだろうという放牧スタイルでいさせてくれたため、行きたいところに行き、見たいものを見ていました。
サッカーグラウンドが何面も取れる場所を貸し切って同時に複数試合が行われていたのですが、どこにいってもいついっても、どこかで牧師先生がプレイしていました。後で考えてみると、当時牧師先生の歳は…。今の私でさえ、何試合も走れるかと聞かれたら「無理れす(キリッ)」と答えるしかありませんが、当時の牧師先生はどの試合でも積極的にボールにかかわっていました。これってすごいですよね。それを見ていた私はそのすごさを軽くしか考えておらず、「あ、また牧師先生試合に出場してる!」と思いながら見ていました。
試合の合間合間にも牧師先生は大活躍でした。体に不調を覚える人たちのもとに牧師先生が近寄って、当時は骨盤だったり脚を治療することが得意だったのか、多くの男性、たまに女性の身体の歪みを直していく姿を見て、人だかりが一斉に「お~~」と声を漏らしていたのを覚えています。一人で行動していたため、その人だかりに潜り込んでちゃっかり「いい位置」でその姿を見ていたのですが、足の長さを確認して、みんなに見せて、ググっと曲げたり押したりすることで矯正する感じでした。見ていて「それで治るの!??」と思っていましたが、施術された人が涙を流して感激している姿を見て、そんなんで痛くなくなるんだ、そんなんで違和感が無くなったんだな、と不思議にも納得していました。
隣接している体育館でバレーボールをしているときも、もちろん牧師先生は大活躍。むしろサッカーだと距離があるのでそのすごさがわからなかったけれども、サッカーよりも近い位置で見られる分、牧師先生が活躍されている姿を楽しく見ることができました。「平和大会」というだけあって、毎回大会参加者全員が一つの輪になるエキシビジョンがあるそうなのですが、ハワイ大会でもそれが行われ、ちゃっかり参加してきました。選手も観客もどの国の人も関係なく一つになって輪になって、芸術団の笛太鼓の音で一つに丸くなることでなんだか一体感を感じました。わかりやすいですけれど、目に見えて一つになるって効果ありますよね。
当時いろんな国の言葉をNHKの語学講座で勉強するのが趣味だったので、いろんな国の人たちにその国の言葉で挨拶したりしていました。
楽しかったーー!


昼は雲の柱、夜は火の柱

なぜ私がいきなり牧師先生と初めて会ったときのことを書こうと思ったのかというと。

20200816
1週間。先週、そのように生活をする中で、神様の御言葉を待っていました。来週行うことは、今週のうちに前もって下さるから。それで経験してみたところ、次に行なうことを行なっていらっしゃいます。先にまず頭が考えて行なうようにさせて、その後で肢体が行なうようになります。頭は、時代のこの私が行なうのを見たら、前もって神様が行なわれていました。次に行なうべきことを、すでに行ないました。先生はすでに行ないました。それを伝えるのです。だから、行なったからはっきりしています。あらかじめ、前もって行なったことでした。

先月こんな内容が主日の御言葉で伝えられました。
2001年、私のハワイ滞在の最終日が主日でした。その主日の説教は「昼は雲の柱、夜は火の柱」という主題のもと、民数記を本文として伝えられました。


この地の住民に告げるでしょう。彼らは、主なるあなたが、この民のうちにおられ、主なるあなたが、まのあたり現れ、あなたの雲が、彼らの上にとどまり、昼は雲の柱のうちに、夜は火の柱のうちにあって、彼らの前に行かれるの聞いたのです。

(民数記14:14)

それを聞いたときに一週間のことが思い出されました。
8月のハワイです。ハワイ初体験の私の、ハワイのイメージはというと、「青い空!青い海!白い雲!!」というものでした。しかし、牧師先生が屋外でサッカーをしたときはいつも「くもり」だったのです。ではハワイがそういう気候の時期だったのかというとそうでもなく、ホノルルのビーチでみんなで遊んでいたときには、太陽の日差しがギンギラギンにさりげなくないくらいの強さで刺してきて、ただでさえ焼けやすい私は日焼けをしていました。
対して夜は。世界中から集まった人たちが、自分の国の出し物を用意して、みんなで楽しむという芸術祭が何度も開催されました。明かり(火)で照らしながら、それを楽しんでいました。
楽しかったなー!

そんな一週間を体験したうえで主日の説教を聞くのは初めてだったので、春から毎週日曜日に聞いていたあの御言葉は、牧師先生が一週間を通して体験することを通して神様が悟らせていたんだ、このように御言葉が作られているのかと実感することができました。エジプトを出てカナンに向かうイスラエル民族が砂漠で果ててしまわないように、日光を雲で遮ってくださったように、大会参加者皆が体調を崩すことがないようにと神様が雲を用意してくださったのです。夜は火で彼らを照らしたように、私たちが楽しく過ごせるようにと照らしてくださいました。
この大会で私は、自然万物を通して、状況を通して、見るものを通して神様がこのように働かれ、メッセージを送ってくださっているんだということを体感することができました。


神様からのプレゼント


20200902
もらった約束を忘れず、もらったしるしの物とプレゼントも考えから忘れず、その宝物を大切に保管しなさい。

実はそのハワイ大会をとおして、神様から見える形でプレゼントをいただきました。
ある日の晩の芸術祭の最後に、牧師先生が舞台からいくつかのサッカーボールを蹴って、それを受け取った人はそのサッカーボールをもらえる、というものがありました。蹴られたボールの一つが、私の上に吸い寄せられるように降ってきました。
そのサッカーボールという神様からの「見える形でのプレゼント」があることで、何度ゆれる心を治めることができたのかわかりません。

神様から愛されて生まれたこの肉体。この肉体が生きている間にもっと神様の愛を感じていきたいと思うなおこでした。
これからもたくさんのプレゼントを神様からもらうぞーーーぃ!

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