プレゼントの心理

こんにちは!ゆいチャンねるです。
先日、友人の誕生日プレゼントを探しに行きました。
プレゼントを選んでいる時間は、何とも言えない楽しみがあります。
みなさんも経験があるでしょうか?

今日は、プレゼントをあげたくなる心理についての研究結果を共有したいと思います。

私の場合、自分のものを買うときには、予算や用途、イメージが明確にあるので、自分の想定していたものと合う/合わないの判断基準のみの買い物となり、面白みがあるというよりは必要だから買う、といった感じです。

一方で人にあげるプレゼントを選ぶときには、これというのが決まっていれば別ですが、大概はその人の顔を思い浮かべながら、何であれば喜んでもらえるかを考えます。
これでもない、あれでもない、と考えている時間が、ふと、どうして楽しいのだろうと考えました。
自分のものではないのに、あげてしまうものなのに、どうして自分のものよりも一生懸命に探そうとするのでしょうか?

広げて考えてみるならば「人の役に立つ仕事がしたい」と思う人が多いのも、自分の体も時間も、自分の喜びのためだけに使うのではなく、人のために使いたいということだと思うと、広い意味のプレゼントだなあと思うのですが、どうして必ずしも「人のために生きなさい」と言われたわけではなかったとしても、「してあげたい」という心を持つようになるのでしょうか?


もらう愛より、与える愛

御言葉で神様の心に触れてみて感じるのは、「与える愛」が、どれほど偉大なのかということです。
与える愛が互いを行き来するときに、ひとときで終わることのない喜びが続き、感謝が生じ、平和がなされると思いました。

神様も同じ心をお持ちだから、やはり人も相手に喜んでもらいたいと思うのと同時に、自らがあげる喜びを感じるのだなあ、と思いました。

食べ物だったら食べてなくなってしまうし、消耗品ならいつかは寿命が来るけれど、もらった時のことは記憶に差があったとしても覚えていると思います。

実家からの贈り物も、「これ好きだから」と覚えて毎回送ってくれるので、もらうものに予想がついたとしても、「あげよう」と思って詰めてくれて、送ってくれるその行動が嬉しいと思うのです。

このように考えてみるならば、プレゼントはものを介した心のやり取りなんだと気づきます。
子どもの頃に焼きそばのキャベツを買いに行きましたが、キャベツと白菜の見分けがつかずに白菜を買っていったことがありましたが、親からしたら期待外れのものを買ってきたとしても、その心が嬉しく、かわいらしいと思うように、神様と私たちも、そして人間同士であってもそうなんだと思うようになりました。


あげることで、喜びが倍になる

その日、結局プレゼントにはチョコレートを選びましたが、レジに持っていくと、「お買い上げ時にもう一つプレゼント」とのことで、自分にもプレゼントがありました。
チョコレートが二倍になったように、このようにあげようとする心の上にたくさんの喜びが満ちるようにしてくださった神様に感謝します!

以上、ゆいチャンねるでした!


記事のタイトルとURL をコピーする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です